山陽日日新聞社ロゴ 2012年1月15日(日)
写真で辿る「昭和−あの頃の尾道」(1)
 美しい瓦屋根に雁木も
  60年代初めの「市街地風景」伝え
市街地を俯瞰した様子 千光寺山・尾道城が見える
ナショナルの看板
 山陽日日新聞社の編集室に保管されている写真
資料を紹介していく「昭和−あの頃の尾道」をス
タートします。当時本紙が撮影したもの、読者や
行政機関から提供されたものなど、多くの白黒写
真からは、かつての昭和の尾道の暮らしや風景の
記憶が蘇ってきます。週1回のペースで掲載。読
者においては、当時の思い出や情報、指摘を編集
部まで頂ければと思います。     [幾野伝]

 1回目は住吉浜から西の土堂界隈、尾道駅前の
一帯を眺めた1枚。
 写真には、千光寺山の中腹に「尾道城」の立ち
姿(完成予想図)をペンで手描きした跡があるこ
とから、1964(昭和39)年3月に完成した同城施
設の建築計画が持ち上がった頃の尾道の町並みと
考えられる。
 1960(昭和35)に現在の市役所本庁舎が落成し
ており、この上階から撮影したものなのか。
 まだ住吉浜の石積み雁木がきれいにあり、小さ
な木造の渡海船などが多く係留されている。
 市街地には新しいビルも建ち始めているが、黒
い瓦屋根の家並みがとても美しい。蔵や火の見や
ぐらも見え 現在は景観形成に対する意識の向上
もあり撤去されつつあるが、金融機関と思われる
屋上看板がこの頃からあったようす。白地に黒文
字で「廣島銀行」と読める。
 さらに写真の左奥、尾道駅前のビルには、「ナ
ショナル」の四角い大きな広告塔が立っていた。
夜間にはこれが電飾点滅し、駅前のトレードマー
クとして遠くからでも見えていたことを思い出す。
 駅前でもう一つ、瀬戸内海汽船ビル(1957年竣
工)の屋上の縁を、水中翼船(1964年11月に尾道
〜今治間就航)の模型がグルグル回るコマーシャ
ルがあり、バスを待ちながら下からそれを眺める、
子供にとって何よりの楽しみだった。



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