2009年12月5日(土)
児玉種一さん
 無事故無違反で人命救助で貢献
  半世紀以上の船長に別れ
   公営渡船から尾道渡船へと一筋
最後の航海
 公営渡船から尾道渡船を通して56年間、無事故
無違反で船長を勤めてきた児玉種一さん(78)が
11月末で現役を退いた。半世紀以上も尾道水道を
行き交う渡船の船長を担ってきたのは児玉さんだ
け。「長い間、船長一筋に勤め色々ありましたが、
振り返って、よい人生でした」と話していた。
 公営渡船は尾道市と向島町が共同で出資し一部
事務組合として昭和28年にスタート、児玉さんは
開業と同時に21才で公営渡船に就職、はじめは甲
板員を務め、昭和33年、6級海技士の免許を取り
船長に就いた。
 向島町の中心街だった兼吉と土堂海岸を結ぶ公
営渡船は渡船のなかでもドル箱路線で昭和43年、
尾道大橋ができるまでは乗客はほぼ満杯、1年3
65日、休む暇もないほど働いた。その収益は尾
道市、向島町の台所を潤した。
 尾道大橋開通後、乗客は段々と減り始め、両自
治体にとってお荷物的存在になった渡船は民間に
売却され、尾道渡船として昭和59年に再出発した。
 「尾道大橋開通後は見る見るうちに乗客が減り、
公営渡船時代が懐かしかったです」(児玉さん)。
 渡船はほとんど休業したことはなかったが、一
度、強風を伴った大型台風に見舞われ、尾道側か
ら兼吉の桟橋に着けることができず、肥浜に迂回
し乗客を降ろした。「民家の瓦は吹き飛ぶわ、ど
うなることか心配でしたが何とか向島側に到着し
ました」とその時は胸をなでおろしたという。
 船長として無事故無違反だけでなく、人命救助
で3回、尾道海上保安部から表彰を受けた。一度
は子どもが海に落ちたのを見つけ、渡船を止め海
に飛び込み、沈みかけていた子どもを救助し一命
をとりとめた。
 前舵と後舵のある双胴船に切り替わり、船の運
転操作が難しくなった。体験を重ね、今では船の
動きに手が勝手に動くほどの熟練船長になり、接
岸操作はお手の物。「双胴船を扱っていなかった
船長が入ってきて、前舵と後舵を同時に使って桟
橋に着ける操作ができなく、辞めていった人もか
なりいました」。船長は真ん前と右、左といつも
3方向に注意しながら運転し、船上からはゆっく
り花見や景色を楽しむことはなかったという。
 「知った乗客が下から手を振ったり、声をかけ
てくれると嬉しく、船長冥利に尽きます。乗客あ
っての渡船ですから」と感謝していた。
 「80才近くまで勤めることができ幸せでした。
渡船の移り変わりを見てきました。これからは囲
碁や釣りなど悠々自適な毎日を送りたいと思いま
す」と半世紀以上の船長生活を走馬燈のごとく思
いだしながら、最後の操船に精を出していた。
 [写真は11月30日、現役最後、渡船の運転をす
る児玉さん」。



ニュース・メニューへ戻る