2009年10月30日(金)
尾道絵葉書発掘プロジェクト緊急招集
 浮かび上がるセピア色の尾道
  射場さん寄贈ガラス乾板を現像
昔の尾道駅前
ガラス乾板から写真をおこす
 (本紙10月15日付け続報)今はなき渡し場の小
さな本屋さん・盛文館書店から発行されていた、
尾道絵葉書及び原板写真などの貴重な資料一括が、
経営者であった射場昭人さんから尾道学研究会
(天野安治会長)へ寄贈されたが、この内最も注
目される、ネガ・フィルム以前の時代に遡る【ガ
ラス乾板】の現像がこのほど行われ、同研究会内
の尾道絵葉書発掘プロジェクトのメンバー(セピ
ア本制作チーム)に、寄贈者である射場さんもこ
れに立ち会った。
 現像機器と合体したスキャナーにガラス乾板が
セットされると、接続するパソコン両面に、乾板
に写し込まれた画像が表示されてゆき、更に画質
調整・補正など、デジタル技術・機能の駆使によ
って、一枚一枚鮮明かつ綺麗な形で、ありし日の
尾道風景を現代に甦らせていった。
 注目のその中身だが、盛文館から戦前に発行さ
れた絵葉書の原板を中心に、一部には絵葉書とし
ては未確認のもの(候補に止まり絵葉書化されな
かった所謂お蔵入りモノ)や、絵葉書化されてい
るものでも、絵葉書上からは省かれている周辺部
分が含まれていたりと、どれも真新しく感じるも
のばかり。
 また、印刷された絵葉書と違い、元の写真のそ
れも原板であるだけに、絵葉書画像では分かりづ
らかった細かい部分までもハッキリ、クッキリと
鮮明に写し出され、これによってまた新たな発見
や指摘が、メンバーの内で盛んに飛び交っていた。
 セピア第1集の表紙ともなった尾道駅舎の絵葉
書原板では、駅前に停まる2台のボンネットバス
を拡大してよくよく見ると、西側(向かって左手)
に停まる方の車体には【アサヒ○○○(自動車?)】
の社名とマークが見え、隣に並ぶバスと微妙に車
体が異なっていることが判明した(資料を参照す
ると市営バス以外にも民営の乗合自動車があった
らしい)。また、駅裏に並ぶ家並みの内には、
「實業商人旅館」などと書かれた看板類が鮮明に
見てとれるなど、一枚の写真から色々な情報が読
み取れて興味の尽きないところ。
 その他、当時は「商船桟橋」と言われた現在の
中央桟橋から住吉浜、芝居小屋「偕楽座」の大き
な建物が家並みの内に確認できる銀行浜界隈(現
在の公会堂周辺)、お馴染みの千光寺公園、向島
から望むパノラマ全景モノの一部など、代表的な
絵葉書の題材となったものが次々と浮かび上がっ
た。
 当時の尾道風景をよく記憶し、同プロジェクト
の情報特定作業(語り部)リーダーである研究会の
松本達良副会長も、「これほどまで鮮明に出て来
るとは凄い。絵葉書レベルでは困難だった細かい
部分の確認が容易になり、より詳しい情報が得ら
れる様になった」と、食い入る様に画面を見つめ
ていた。
 同席した射場さんは、デジタル技術によって現
像、保存されてゆく作業を見守りながら、「これ
で後世へ伝えてゆく為の保存が出来た・・」と、
安堵の言葉を洩らされていた。
 プロジェクト総監修の天野安治会長は、調査研
究面と同時に課題となる、ガラス乾板自体の保存
管理の面について、古文書や古新聞発掘等で協力
を仰いだ県立文書館からアドバイス・サポートを
得ながら、適切な保管・取扱い方法を検討したい
としている。
 尚、研究会では、今後より精密なデジタル処理・
保存工程を経た後、原板写真を広く公開・発表す
る機会(市民へ還元)を設ける予定にしている。
 来年度以降で想定されるセピア第2集について
も、第1集を超える豪華な内容になって来そうと
の声が、メンバーの間で早くも上がっていた。
「写真」上=尾道駅舎の原板、下=作業風景。



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