2009年10月15日(木)
「尾道...セピア色の」
尾道絵葉書発掘の鉱脈に行き当たる
 今はなき誠文館書店が発行
  写真の原板、ガラス乾板も現存
 ありし日の尾道風景を切り取った絵葉書の数々
を、市民参加型で発掘・集成した『尾道..セピア
色の記憶』(天野安治監修、尾道学研究会発行)
の内には、絵葉書の発行元が不明となっているも
のが大半を占めているが、それらは総じてうちの
店で出していたものです−と、土堂渡し場で盛文
館書店を営んでいた射場昭人さん(75)から、重
要かつ貴重な情報が研究会へもたらされた。
 老舗書店の一つでもあった盛文館書店は、大正
の末に射場さんの父・義郎氏が中浜通りの西入口
(荒神堂小路下)の角で開業し、昭和12年頃から
渡し場の店に移り、以来、小さいながらも味わい
のある海岸通りの本屋さんとして親しまれて来た。
射場さんが65歳を迎えた今からちょうど10年前の
平成12年、その長い歴史に幕を閉じた。
 射場さんの話によると、盛文館書店において戦
前から尾道の観光絵葉書を種々発行しており、書
店の店頭のみならず、広く市内各所の土産物店に
卸していたという。
 因みに、同じく老舗書店であった本通りの北辰
社においても、尾道絵葉書を多く発行していた事
は既に確認済みだが(北辰社の場合は絵葉書のタ
イトル部分に記載があり)、昔は専門のメーカー
ではなく、地元の書店から発行されていた例が他
都市にも見られた様だ。
 絵葉書の製造発注は、京都にある日本でも有数
の絵葉書メーカーヘ依頼し、専門のカメラマンが
京都から撮影に来ていたという。そして戦後(昭
和30年前後〜)になると、本通りの本町中商店街
にあった写真館「メイキ(明輝)」が撮影を担当
していましたと、【明輝寫場】のレトロな印が押
された袋の中から、原板となるネガーフィルムを
取り出された。
 絵葉書に使用された原板写真の内には、時代を
感じさせる「ガラス乾板」が大量に現存している
他、絵葉書には使用されていない(候補作か?)
古写真も多々見られるなど、当時の町並み、尾道
風景が生き生きと甦って来るものばかり。
 写真撮影に同行した射場さんの思い出話を聞く
と、1枚を撮るのに2〜3日もかかる事もあった
そうで、撮影秘話・苦労譚がそれぞれの写真に込
められている。また、耕三寺の観光絵葉書も盛文
館から多く出されているが、こちらにも色々と思
い出がありますと、レトロなパッケージに入った
耕三寺絵葉書の束を手に取りながら、懐かしそう
に述懐されていた。
 絵葉書に関してはその昔、市の方へ二部寄贈さ
れたそうだが(おのみち歴史博物館において寄贈
分を確認済み、図書館にもあるとの事)、アルバ
ムにきれいにストックされた分をまだ手もとにお
持ちで、写真原板に他地域の観光絵葉書、栞(し
おり)、昔の観光パンフレット類など含めトータ
ル879点(この内、尾道関係が673点、尾道
絵葉書は431枚)を、尾道学として保存をお願
いしますと、尾道学研究会ヘ一括寄贈された。
 研究会では、集積される尾道学史資料を整理保
存する【尾道学アーカイブ】の内に登録保存する
と共に、次回の『尾道..セピア色の記憶』(第2
集以降)において順次紹介していきたいとしてい
る。また、貴重なガラス乾板についても、現代の
技術によって現像可能との事で、こちらも非常に
楽しみなものになっている。
 企画事務局サイドでは、手紙の良さを見直そう
との趣旨で同会が継続実施しているスローメール・
キャンペーンとも相俟って、既に着手済みの復刻
版制作の更なる展開を図り、地方都市にあっては
珍しく盛んだった尾道の絵葉書文化を甦らせる事
が出来れば・・と構想を巡らせている。
 尾道絵葉書発掘プロジェクトの総監修を務める
天野安治会長は、「今までは描かれているものの
解明に重点を置いて、尾道学の資料として絵葉書
を活用してきたが、尾道の絵葉書がどのようにし
て作られ、販売されてきたのか、といった角度か
らのアプローチはほとんどなかった。今回の盛文
館の資料はこれまで欠けていた面を大きく補うも
ので、これを機に、尾道絵葉書の研究が大きく前
進することが期待される」として、今後の展開に
大きな期待を寄せている。
 「写真」=上・・絵葉書を出していた当時の盛
文館書店(渡し場、昭和12年撮影、看板に「尾道
名所エハガキ」の文字が見える)、中・・絵葉書
に使用されなかった写真の一枚(長江口付近)、
下・・貴重なガラス乾板の山(何れも射場さん提
供及び寄噌)。



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