2009年8月23日(日)
葉書に書画、写真、鉄道関係など幅広く
 参加型『私の尾道遺産』展
  個人蔵尾道学的なお宝集う
 我が家に眠るお宝..といっても、尾道に関係す
るものを条件に、個人所蔵になる尾道学的なお宝
を出し合う参加型企画展「私の尾道遺産展」が、
尾道学研究会(天野安治会長)と尾道市教委(文
化振興課)の主催で、本通り街かど文化館(三井
住友銀行隣接)で開かれている。
 一つのテーマに沿っての通常の企画展と異なり、
十人十色、幅広いジャンルの尾道学的な品々が所
狭しと会場を埋め、まるでオモチャ箱をひっくり
返したかの様な雰囲気がまた面白い。
 会長の天野安治さんからは、戦意昂揚を唄った
スローガンが消印と共に押印されている、戦前の
【国策標語入り尾道消印葉書】が出品され、そこ
には当時の尾道に見られた商家の名前が差出人の
内に確認されており、こちらも興味深い。
 松本達良副会長からは、戦前戦後の本通り界隈
を写した古写真が出され、この内、商業会議所前
を走る尾中(旧制尾道中学・現北高)のランナー
をとらえた写真には、戦争末期に強行された建物
疎開の跡がはっきりと写し出されており、現時点
で尾道における建物疎開の記録写真が皆無なだけ
に、大変貴重な一枚として注目を集めている。
 同様に貴重な尾道遺産として、目下天野会長の
手によって資料化が進められている【長江回廊組
に遺された戦時下の町内回覧資料】(長江・日下
廣さん所蔵)からも一部が展示され、広島や福山
と違って戦争の記憶が薄い感のある旧尾道でも、
戦時色に染まっていた異様な当時の様相を、生々
しく窺い知る事が出来る。
 お馴染みどころでは、元日立造船の記録カメラ
マン・土本寿美さんが撮り溜めたものから、向島
町営バスによる初めての事故や昭和天皇の向島行
幸など、セピア色の記憶を甦らせている。併せて
当時のカメラ2機が、「尾道を写し続けた愛機」
として展示されている。
 土本さんと並ぶ尾道学常連の谷野照男さんから
は、姿三四郎のモデルとして名高い西郷四郎の豪
快な筆致の書一幅が出品され(展示としては初公
開)、これに日下さん所蔵の西郷四郎の写真(地
元の子弟と共に御袖天神の石段にて撮影)が並び、
より厚みを増している。
 全体的に書画の割合が多く、書画収集家でもあ
る山中仁さんから、平田玉蘊の師匠・福原五岳、
豪商渡橋(おりはし)家の出で頼山陽門下の宮原
節庵、備後尾道の人として記録に残る馬場竹琴の
3幅が、今川玉香園茶舗主人の今川吉弘さんから
は、拳骨和尚こと物外不遷によるお茶にまつわる
画賛と、儒学者・宇都宮龍山の書が並び、書画に
詳しい山中さんによると、とりわけ龍山の品は滅
多と出ない逸品との事。
 文人墨客関連の品で一際目を惹いているのが
【平田玉蘊画 四季の歳時記】の大屏風(山口真
一さんより出品)で、1月から12月まで、各月の
風俗慣習(正月や節句など)を描き、玉蘊の内で
は珍しい作品といえる。
 書画の内で、「尾道が生んだ二人の巨人、ここ
に会す..」と銘打って展示されているのが、尾道
と因島を繋ぐ男装の女傑・麻生イトと尾道市名誉
市民の山口玄洞。
 イトさんの遺品の一つで、同じものが大正天皇
妃・貞明皇后に献上されたとのエピソードを秘め
る【一筆観音経】(因島土生・三阪達也さん所蔵)
と、勤勉なる玄洞翁らしい書「勉」(林良司さん
所蔵)が、意図的に相対する様に展示される。
 先祖代々の伝来品としては、向島の旧家・阿蘇
俊之介さん方より、尾道での「ええじゃないか」
騒動を記録した古文書(幕末〜明治)と物外監修
になる歌集、本紙でも紹介した防地の村上肇商店
より、寛永17年(1640)の年号を刻む旅龍島屋の
銭箱、版木類などが出品されている。
 甦る茶園文化プロジェクトから、長江のユウ(
手へんに邑)翠園(ゆうすいえん)窯跡周辺から
採取された煎茶器の土器片、同山城戸の森谷南人
子旧居(現・南人子さんとこ)敷地内から発見さ
れた謎の青銅鏡(何れも長江マチづくり研究会・
香本昌義代表より)、このユウ翠園窯との関係が
示唆される、宮野歯科・宮野芙紗子さん所蔵の
【玉浦焼】と刻印された焼き物(大小の皿)が並
ぶ。
 その他、尾道鉄道の遺品を前田六二さんが、同
じくマニア垂挺モノであろう国鉄尾道駅設置のベ
ルを吉田すみ子さんが、【尾道魚市場前・津治酒
店】と入った酒徳利を亀田芳子さんがそれぞれ出
品している。
 会期は9月13日(日)までの10時〜18時、木曜
休館、入館無料。会場では随時尾道に関する古い
資料の持ち寄り、情報提供を募っており、既に何
件かの問い合わせが入っているという。

おのみち街かど文化館の場所はこちらの「お」


問い合わせは↓から
尾道学研究会ホームページ



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