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2009年8月5日(水) 「永久保存版」の一つ 朝日新聞「うたの旅人」で格調高く 尾道が尾道で在り続けるため 東京物語「夕の鐘」と原節子の「台詞」の謎 |
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「尾道が尾道で在り続けるため」の一つを一日 付けの朝日新聞土曜特集「be on Satu rday」が、映画「東京物語」と「竹村家」で、 じっくりと語りかけてくれている。「ソング う たの旅人」のシリーズの一つか。「旧築出町内会 の復元マップ」の報道でも、読売新聞が昭和57年 1月26日付けで特集した「青春紀行」ミヤコ蝶々 編を″復元″して伝えたが、今回の朝日紙の特集 も東京物語と小津安二郎と尾道を語る上で「永久 保存版」の位置づけとなる。 「うたの旅人」文が河谷史夫、写真が高山顕治 の両氏で、小津安二郎監督が「東京物語」の最後 の方で挿入した唱歌「夕の鐘」について、「うた の旅人」のタイトルに添って書いている。 話はもう六年前になる小津生誕100周年の時 から始まる。研究者や収集家それにごく普通の小 津好きが集まり03年に出来た「全国小津安二郎ネ ットワーク」(会員数120人)。 「酒を飲まない男はおれは信用しない」といっ た小津から会に酒は欠かせない。小津のことなら 何でも知っている義妹のハマさんが必ず出席され るという由緒正しい会だという。 そこから、小津が「東京物語」の挿入歌に「フ ォスター」を指名。小津のフォスター好きは有名 であったといい、脚本では「小学校の校舎/唱歌 が聴こえてくる」とだけあったが、音楽担当の斉 藤高順が「夕の鐘」を選んだ。 「夕の鐘」は吉丸一昌作詞、フォスター作曲で、 映画の公開当時は音楽の教科書にも載っていた。 何故、「夕の鐘」だったのか?が、「うたの旅 人」の主題であり、もう一つのテーマが次男の嫁 役の原節子が「あたくし、猾(ずる)いんです」 という台詞を映画の中で三度も繰り返しており、 この「猾いんです」という言葉の意味を「昔の人 いまや何故..」の「夕の鐘」の歌詞と重ね合わせ ながら、読者に問いかけているもの。 一ページ目は「尾道は海と坂と石段の町である。 人がいない『空ショット』を小津は活用した」の 写真説明をつけて六段抜きの大きな写真入り(写 真上)。 【マスメディアなどの写真では、わざわざ通行 人や猫などを入れて(一つのヤラセ)写真を撮影 するのが普通だが、記者は写真がズブの素人、ド 下手であることは承知で、在りのままを何の工夫 もなく撮るようにしている。在りのままの姿が小 津流の「空ショット」なのかどうかまではよく分 からぬが、これが尾道の在りのままの姿であると いう意味では、小津も記者も同じだと理解してい る】。 その写真の力強さが圧倒的な迫力を持って伝わ ってくるが、下段の簡単なマップもまた素晴らし い。 左(西)から順に、JR尾道駅、シネマ尾道、 林芙美子像、志賀直哉旧居、千光寺山ロープウェ イ、おのみち映画資料館、竹村家、浄土寺という 旧市内の地図。右辺に「岡山、尾道、広島」の地 図入りで、これほど簡潔に「おのみち」ではない 「尾道」を表現したマップも珍しいのではないか。 「尾道」と「おのみち」の二つが入っていると ころも憎らしいほど。 東京物語「こぼれ話」を満載 一ページをめくって三ページ目で『繰り返した 「ずるいんです」の意味』の大見出しで「うたの 旅人」は続く。 ここから「書き出し」はゴロっと変わり、「東 京物語」の舞台ともいえる老舗旅館「竹村家」が ″主役″になる。 映画「東京物語」と「竹村家」については、断 片的に様々に伝わっているが、三代目当主の武田 和頼さん(84)の回顧談として、撮影当時の思い 出話がこれほど克明に語られたものは、そうない のではないか。 また、娯楽の乏しかった時代。笠智衆、原節子、 香川京子といった銀幕の大スターが田舎の町に映 画撮影のため来たという衝撃がどれはどのもので あったかり..。 「笠さんと香川さんが尾道に着いた翌日、原さ んが尾道を訪れており(前日の宣伝効果も手伝っ て)「何しろ駅の入場券が三千枚も売れた」とい い、この大混乱ぶりに恐れをなしたのか、「電報 を打ってね、尾道駅で降ろさず、次の糸崎まで行 ってもらい、そこに原さんを迎えに行ったのです」 という件(くだり)が、当時の尾道の熱狂ぶりを 端的に表現している。 そして、竹村家に投宿していることを知ったフ ァンが殺到。「原さんを守ってほうほうの体で着 いた時には、宿の庭にあった太閤秀吉ゆかりの石 灯寵がすっかり傾いてしまっていた」と武田さん の回顧談は続いている。 松竹からは「監督は酒好きだ。金に糸目はつけ ない。うまい酒とごちそうを出すように。いくら かかってもいい」と言ってきたというから、何と もおうような時代であったと筆者も古き良き時代 (日本はまだ貧しかったが)を懐かしんでいる。 文章はまた、ここから映画「東京物語」の挿入 歌「夕の鐘」と原節子が三度繰り返した「猾いん です」の台詞の意味のテーマに追っていくが、そ れは原文を読んでの楽しみにしてほしい。 武田さんではなく「竹村家さん」の回顧談とし て(この辺りが尾道を熟知しておりスゴイ)、も う一つ「永久保存版」たる所以が最後辺りで登場 してくる。 『ロケ隊が滞在した間、父と母それに妹の三人 が毎晩呼ぱれ、台本を渡され「声に出して読んで 下さい」と頼まれた。 父が笠さん、母が東山千栄子さん、妹が香川京 子さんになって、尾道弁でせりふを読めと言うの です。 それは録音機に取られた。「東山にはこれを聞 かせる。うまくいかなければ寄越すからよろしく」 と小津は言った。東山が来ることはなかった。 「映画で東山さんのせりふは、母そっくりでした」 と武田さんに語らせている』。 「ええじゃんよ、それで−やっぱりあんたはえ え人じゃよ、正直で..」と笠智衆が原節子をくる むように発する尾道弁がよみがえる−と筆者。 その「結論」は意外といえば意外な方向へ進展 するが、戦後の日本人の共通した想いであったこ とが、この「東京物語」の根強い人気の底流にあ るのかも知れないというのが記者の読後感。 写真では、小津の泊まった部屋と尾道水道の眺 望。 「ぶらり」という「尾道案内」のサービス版で、 マップに落とした映画資料館、浄土寺、志賀直哉 旧居、シネマ尾道などが紹介されており、その一 つひとつが秀れものといえるレベルの高さ、格調 が高い。 近年、尾道ヘフラッと来て、ロクな取材もせず に薄っぺらな「尾道もの」が氾濫している中にあ って、久々に「尾道を語る」本格的なものに出会 えたことが何よりも嬉しい。 |