2009年5月19日(火)
銀の道交流会
史実に基づき、山道を歩き7日間
 「石見銀山街道」を踏破
  16日に尾道入り 地元の人達と交流深める
海岸での一行
 16世紀前半から4世紀にわたり世界有数の銀鉱山
として海外にも輸出されていた石見銀山の採掘され
た銀を運ぶ石見銀山街道を「銀の道交流会」(小田
博之代表)のメンバーが5月、7日間かけて踏破し
た。最終の尾道には16日に着き、対岸の向島町、河
野民宿に泊まり、地元の人達と交流した。次はしま
なみ海道を渡り、四国にネットワークを広げていき
たいという。
 銀山街道140kmを踏破したのは島根県の小田代
表と安芸高田市、秋本利彦さんの2人。NPO法人
「ひろしまね」のメンバーでもある2人は5月、第
1次から3次にわけて尾道を目指した。
 2日、石見の大森代官所を出発、粕淵から赤名、
三次を経て5日、吉舎に到着し、一旦帰宅した。第
2次は9日吉舎から甲山に入り、10日御調町の道駅
で歓迎を受け、三成まで歩き、解散した。16日三成
から尾道の女性の人が案内人を買って出て、最終の
尾道に着き、銀の積み出し港を拡張した恩人を祀っ
ている住吉浜の平山神社(平山角左衛門・住吉神社
に合祀)で無事、踏破できたことを報告し、万歳三
唱した=写真=。
 渡船で対岸の向島町に渡り、河野民宿に一泊。地
元の人たちに一献傾けながら交流を深めた。
 秋本さんは「銀山街道は車では何回も通ってきま
した。史実に基づいた道を踏破したのは我々が初め
てでしょう。ほとんどが今では山道で見落としてい
た道標やお地蔵さんが沢山あり、収穫でした。この
貴重な体験を連載記事にして発表していきたい」と
話していた。
 途中の宿泊場所でネットで知り合った人と出逢い
交流を温め情報交換したり、温泉の接待があり、車
から激励の声を掛けられたり、人情に触れた楽しい
旅になったと感激していた。次は吉舎から枝分かれ
した上下、府中、笠岡の銀山街道の踏破を計画して
いる。またしまなみ街道を渡り、四国に向け、ネッ
トワークを築いていきたいと語っていた。
 銀の道交流会は陰陽を結ぶ古来からある銀山街道
を通じて、沿線の町や村が連携して街づくりを進め
ようと7年前に立ち上げ、太田市石見銀山のまちづ
くり、府中市上下町の伝統的町並みづくりなどにコ
ミット、銀の道交流会まちづくり宣言をおこなった
り、国交省の委託を受け、銀の道探訪マップを作成
した。尾道では加藤慈然さんらと交流を深めている。
 世界遺産に登録された石見銀山は室町時代大永3
年(1523年)、九州博多の豪商、神屋寿偵によって
発見され、以来昭和元年(1926)まで4世紀に
わたり採掘された、世界有数の鉱山遺跡でヨーロッ
パに唯一、知られた存在だった。16世紀半ばから17
世紀前半にかけて全盛期で世界の銀産出量の3分1
を占めた日本銀のほとんどが石見銀といわれている。
産出される銀は高品質で信用が高く、海外にも多量
に輸出され、アジア諸国やヨーロッパ諸国を交易で
結ぶ原動力となっていた。
 石見銀山が世界を動かす重要な役割を果たしてい
たことは明らかで、今日、遺跡として当時のままで
残されていることが世界遺産登録につながった。尾
道はその積み出し港として繁栄した。



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