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2009年4月23日(木) 会議所記念館 尾道発着港と航路の歴史辿る 江戸から現代まで7月まで10回目の企画展を |
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本通り商店街、尾道商業会議所記念館で第10回 企画展「港まち尾道」が開かれている。7月1日 まで。 尾道の歴史を「港」の視点で辿ってみようとい う趣向で、「北前船」が寄港した江戸時代から島 々と四国への玄関口で賑わった1970年代までを、 写真パネルと関連の展示品でダイジェストに振り 返る内容。 尾道水道を描いた江戸時代の絵図と大正時代の 絵はがき、現在の写真を並べたのをはじめ、1819 年に林屋要助が開拓した大阪とを結ぶ航路で、大 阪商船(1884年)や尼崎汽船(1879年)が定期航 路を設けたことを解説。 大阪商船の船は神戸、岡山、小豆島、高松、丸 亀、多度津、鞆の津に寄港していたという。当時 のようすをとらえた写真(尾道学研究会提供)に は、桟橋に多くの荷物が積み上げられ、尾道の繁 栄と賑やかさが伝わってくる。第二次大戦時まで 大阪航路があり、「船の戦時協力によって姿を消 した」とあり、物流が「海」から鉄道などの「陸」 に代わっていったとみられる。 商人が店の宣伝で配った現在のチラシのような 「引札」(椋の里ゆうあいランド提供)が3枚紹 介されている(=写真)。船具商と履き物、傘店 のもので、北前船の寄港地だった北陸地方などで も尾道の引札が発見されている。 海岸通りで石炭の卸業を営んでいた「花本石炭 商会」の商人が着ていた半纏(はんてん)も展示 されている。 1935年発行の山陽日日新聞には、尾道港を発着 する旅客貨物船の時刻表が掲載されている。「桟 橋案内」「出帆案内」の項目に回漕店、桟橋ごと に、国内だけでなく、大連など中国大陸、台湾、 朝鮮半島、北では北海道、樺太の文字まで見るこ とができ、尾道港が当時国際港だったことを物語 っている。 1952年、土本壽美さんが撮影した福本渡船西側 (海岸マーケット)の「雁木」の写真にも、現在 は失われた尾道の暮らしの一場面が切り取られて いる。 「瀬戸内諸島への起点」のパネルでは、賑やか だった当時の尾道駅前桟橋、中央桟橋発着の12航 路と船会社、寄港地を記している。 今治線(瀬戸内海汽船)瀬戸田・井口・今治。 1964年11月から水中翼船就航▽因島東廻線(因島 東航路同盟)大浜・外浦・鏡・椋浦・三庄・小用・ 上弓削・土生港▽因島西廻線(因島汽船)重井西・ 西浦・田熊・宇和部・土生港▽松山線(石崎汽船) 宮浦・大浦・大長・木ノ江・御手洗・高浜・三津 浜。1969年5月から水中翼船就航など。 |