2009年1月9日(金)
大林宣彦監督
将来、尾道からまた映画作家が−
 市民が育てる映画館に
  「シネマ尾道」に初めて立ち寄る
 映画作家の大林宣彦監督が7日、昨年10月にオ
ープンした尾道駅前の「シネマ尾道」を初めて訪
れ、河本清順支配人と握手を交わした。監督は
「全国で3館もない、きちんとした映写設備の整
った劇場になっている。ここまでよく頑張った」
と古里での映画館復活を喜び、労をねぎらった。
                 [幾野伝]

 年末年始を古里尾道で過ごしている大林監督と
プロデューサーの恭子夫人、映画感想家でもある
娘の千茱萸さんが、夕暮れの「シネマ尾道」にふ
いに立ち寄ったもの。
 多くのポスターが貼られた玄関から口ビー、階
段を上り館内のレイアウトなどを見ながら監督は
開ロ一番、「きれいになったね」と語り掛け、河
本支配人は「お金がないので、有るもので工夫し
て間に合わせているんです」と笑顔で応えた。
 上映中の映写室も見学し、映写技師から作業の
内容や手順などの説明を聞き、激励していた。
 監督夫妻は、映画館復活の構想段階から河本支
配人にアドバイスをおくり叱咤激励。スクリーン
に関しては、親交のある大阪市の専門家、細田義
一さん・博久さん親子を紹介するなど技術面でも
協力してきた。またオープン前の昨秋には、運営
資金の足しにと大口の寄付も自主的に行っている。
 ロビーのソファーに腰掛けて暫し歓談。「ぽく
が尾道にいた高校時代までは、歩いて行ける範囲
に9つの映画館があった」と監督。
 「尾道にそれだけ映画館があって、ぽくも映画
を見て育ったからこそ今のぽくがあるわけで、尾
道に映画館が無くなると、もう尾道からは映画監
督が出てくることはないと思っていたが、シネマ
尾道が出来たことでまた、尾道の少年がいつかス
クリーンデビューするという希望がもてる」と穏
やかに語った。
 さらに、「映画の町と言われた尾道に、あなた
達と市民のみなさんの協力と努力で『町なかの映
画館』が戻って来たことは、とても素晴らしいこ
と。よく頑張った」と肩を叩いて称えた。
 河本さんは「尾道の方に多くの映画を見てもら
うことで、人生って楽しいなあと思ってもらえる
きっかけになる場所にしたい」と館に込めた思い
をあらためて伝えた。
 監督は「多くの人は、尾道の小さな映画館を若
い人が、それも素人さんが作ったと思われるかも
知れないが、日本に3館もないきちんとした映写
設備を持った映画館になっている」とその完成度
を確認したようす。
 「つまり、アメリカンビスタというスクリーン
とヨーロピアンビスタというスクリーンはサイズ
が違う、それぞれ文化が違うのだから。しかし今
の日本の映画館ではその違いを上映出来ていない。
日本はアメリカ主導の文化だから。アメリカンビ
スタでヨーロピアンビス夕の上映をすると、天地
が少しづつ切られてしまうが、日本では残念なが
らそういう映画館が多い。額縁が先に決められて
いて、その中に入れる絵が切られてしまうのと同
じ。映画館が面倒臭がってその違いをやらなくな
ったが、でもシネマ尾道はきちんとそれが上映出
来る、たいへん貴重な映画館と言える」と語った。
 河本さんは「映画館を作るとはいえ、分からな
いことが多く大林監督はじめ多くの方の力と知恵
を借りながら、きちんと上映出来る映画館になっ
た。これからも勉強していきたい」と決意を述べ
ていた。
 最後に監督は「市民のみなさんが来て下さるこ
とで育っていくわけで、市民が育てる映画館にな
ってほしい。尾道市民でこの映画館がいつも一杯
ということになれば、他の町も刺激されて日本の
映画もどんどん良くなっていくはず」と期待を込
めた。
 この模様はビデオ収録されており、後日尾道ケ
ーブルテレビの特別番組で放映され、山陽日日新
聞でも紹介する予定。

《その日のまえに》上映
 来月11日に舞台あいさつを
 大林監督の新作映画《その日のまえに》(13
9分、アメリカンビスタ)が2月7日から、シネ
マ尾道で上映されることになり、祝日の同11日に
は監督と主演のナンチャンこと南原清隆さんによ
る舞台あいさつが行われることが決まった。詳し
くは後日報道します。



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