2009年1月1日(木) 尾道絵葉書発掘プロジェクトの成果 『尾道...セピア色の記憶 −絵葉書に見るありし日のオノミチ−』 尾道学研究会会長 尾道絵葉書発掘プロジェクト総監修 天野 安治 |
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2006年春の企画展から始まった尾道絵葉書発 掘・収集の成果を一冊に凝縮。町並み、港、学 校、千光寺公園など、143種をカテゴリー別 に整理分類。巻末附録には、大正期のパノラマ 尾道港全景を完全復刻。◆監修*天野安治、企 画制作*尾道絵葉書発掘プロジェクト、編集* 尾道学研究会企画事務局、発行*尾道学研究会、 印刷*木曽いんさつ。◆財団法人ひろしま文化 振興財団平成20年度郷土文化支援助成事業。◆ 定価(税込)1800円。送料実費500円。啓文社各店、 花本書店で販売。 |
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◆尾道絵葉書を一冊の本に 四年前の二〇〇五年(平成一七)以来、尾道学 研究会・尾道絵葉書発掘プロジェクトが取り組ん できた成果が実り、「尾道...セピア色の記憶」 (絵葉書に見るありし日のオノミチ)が出版され る。尾道のような地方の小都市で、数百種もの絵 葉書が残されている例は少なく、このような地域 限定絵葉書集成本の発刊も、小都市のそれはわが 国ではほとんど例がない。絵葉書の歴史的、文化 的価値が見直されてきている昨今、自画自賛かも 知れないが、今回の尾道絵葉書本の出版は、わが 国初の快挙として注目に値する。 ◆尾道絵葉書集まる 尾道の絵葉書について、本紙上ではじめて問題 提起したのは、二〇〇二年(平成一四)のことで あった。かつては、あまりにも身近な存在であり 過ぎて、粗末に扱われてきた絵葉書であるが、い まや、古い時代の尾道を知る貴重な史料となって きている。その尾道絵葉書がもしあったら、ぜひ 知らせて欲しい、といった提起であったが、この ときは、市民の反応はいまひとつであった。 ところが、二〇〇五年(平成一七)、尾道学研 究会が発足し、翌年「まちかど尾道学ミュージア ム第二回企画展」として、わたくしの貧弱な尾道 絵葉書収集が、街かど文化館で展示された。これ が予想を超えた反響を呼んだため、みなさんお持 ちの尾道絵葉書の持寄りを呼びかけたところ、会 員からはもちろん、多くの市民の方がたから、今 まで知られていなかった数多くの絵葉書が寄せら れて、研究会企画事務局の林良司さんは嬉しい悲 鳴をあげることになった。その数三百数十種、呼 びかけた尾道学研究会としても、ここまで集まる とは思ってもみなかった。本当に嬉しいことであ った。 ◆多くの人の協力があって、出版へ そこで、せっかく多数の絵葉書が集まったのだ から、ごれらを一冊の本に纏め、市民の皆さんや 尾道に関心を持っておられる方がたに提供しよう ということになった。しかし、集まった三百数十 種の尾道絵葉書をすべて採録するのは多過ぎる。 その中からまず百四十三種を選び、採録すること にした。この本の巻末をみて下さればわかるよう に、この一冊のために、実に16名の人が絵葉書を 提供、それに図書館・資料館の所蔵品を加えて掲 載することになった。これでわかるように、今回 の絵葉書本は、数多くの市民のみなさんの協力が なければ、実現しなかったといっても過言ではな い。 尾道学研究会は、もともと「尾道を知る・学ぶ・ 考える」を合言葉に、結集した会員によって成り 立っている。会員の興味は多様で、それぞれ得意 分野で力を発揮することが期待されているが、同 時に、今回のように、ひとつのテーマに多くの会 員が力を出し合う、会員参加型の運営もまた理想 としている。 今回の絵葉書本の出版では、編集がひと通り終 わった段階で、プレ報告発表会を開いた。会員の みなさんに集まっていただき、パソコンによる映 像を一枚一枚みながら、写真の撮影年代、建造物 の特定などをみんなでチェック、大いに盛り上が った。 このように、会員みんなが係わる形で、今回の 出版が実現したのである。 ◆多彩な題材 さて、採録絵葉書百四十三種は多岐にわたって いるので、つぎの十六分野に分類のうえ、採録し た。 手彩色・鉄道・公共建築物・銀行・その他の建 築物・学校・尾道港・大阪商船・尼崎汽船・尾道港 その他・小歌島・博覧会・鳥瞰、街並風景・千光 寺公園・社寺・尾道名勝観光えはがき。 絵葉書の制作された時期は、もっとも古い手彩 色のもので明治期後半、新しいものでは、戦後の 昭和30年代、それぞれみられるが、多くは大正・ 昭和(戦前)のものである。これらをみると、こ の時期の尾道の姿が多角的に浮かび上がってくる。 具体的にその一部をみてみよう。 図1.は、明治中期の尾道。浄土寺山山頂付近か らの鳥瞰写真を絵葉書にしたものである。山陽鉄 道はすでに開通していて、単線の軌道がみられる。 爽籟軒の緑と、防地川の東の広い空地には建設資 材がみられる。これは尾道電燈株式会社(火力発 電所)の建設予定地であろうか。 図2.は、一九三七〜三八年(昭和12〜13)頃の 尾道駅前の情景を切り取った写真。現在のように 改修される前の、建築時の姿を残す駅舎、ポンネ ットバス・タクシー・人力車・荷馬車と、当時活 躍していた交通機関が一堂に揃っている。駅裏の 斜面には、モダンな洋館建築が、さらに、いまは ほとんど撤去されている広告看板も数多くみられ るなど、この時期の尾道を活写した一枚である。 図3.は、昭和初期(戦前)、商船桟橋(現中央 桟橋)を大阪に向けて出航して行く大阪商船(船 名不詳・毎日寄航)と住吉浜に碇泊中の機帆船、 それに、右端に因島などを巡る「島廻り」巡航船 の姿も。賑わう当時の尾道港の姿を捉えている。 図4.は、やはり昭和初期、桜満開の千光寺公園、 中村憲吉旧居前の旧参道である。当時、千光寺公 園といえば、山頂よりも南斜面が中心、繰り出し た市民の風俗が昭和初期らしい。 ◆第二、第三集も予定 今回の出版は、尾道絵葉書本の第一集である。 これが起爆剤となって、新発見の絵葉書が多く寄 せられ、刊行予定の第二、第三集がさらに充実し たものになれぱと期待している。市民のみなさん からのご提供を心よりお待ちしています。 (下記のアドレスにメールを下されば転送致し ます(転載責任者))> |
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「あーっ 小歌島がくっきり」 −どうしてこんなに残っているの− |
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◆図1.手彩色「備後尾道市街全景」明治期、天野 安治氏蔵=瑠璃山(浄土寺山)から西に向けて旧 市街を鳥瞰する。山裾に沿ってカープを描くのが 山陽鉄道(単線)、その南に曲がりくねって延びる 道が本通り筋、その本通り東側入口(防地口)南の 緑地が橋本邸(爽籟軒)と見られる。向島沖に浮か ぶ小島が埋立て以前の小歌島である。手彩色とは、 モノクロ写真に手で色をつける手法を指す。 ◆図2.鉄道【(尾道名勝)尾道駅】昭和12〜13年 (1937〜38)頃、山中仁氏蔵=右端に写る土堂小 校舎が鉄筋コンクリートになっており、昭和12〜 13年頃の風景と判る。当時のモダンな洋館建築を 取り入れた、山手の住宅街も見える。駅前にはポ ンネットバスが3台見られるが、これは初期の市 営バス。ほかに、向かって右手の隅に、タクシー 1台、人力車もみられる。 ◆図3.尾道港「商船桟橋より見たる尾道港」昭和 初期、天野安治氏蔵=商船桟橋は現在の中央桟橋 で、大阪商船定期船の寄港地であった事から商船 桟橋と呼ぱれた。大阪商船の定期船が、大阪へ向 けて今まさに出航した風景。進行方向の対岸には 水野ドック(水野船渠造船所、大阪鉄工所傘下を 経て後に日立造船向島東工場)が見え、白い塔は 当時あった時計塔である(現存せず)。大阪商船の 後方に停泊するのは、因島・生口島・弓削島・岩 城島などを連絡して、「島廻り」と呼ぱれた巡航 船。 ◆図4.千光寺公園【千光寺公園の桜】昭和初期、 浦谷典功氏蔵=中村憲吉旧居前の旧参道である。 道沿いにポンポリが飾られている。今よりも増し て桜が咲き誇っていた当時の様子が偲ばれる。 |