2008年12月21日(日)
 失われた鍛冶屋町を偲ぶ
  其阿弥さんが自費で標柱設置  
標柱を前に
 長江口から艮神社・ロープウェイ乗り場へ続く
交差点手前の、旧鍛冶屋町の西端に、鍛冶屋町跡
を偲ぶ石碑(標柱)がこのほど設置された。
 碑は古寺めぐり沿いを中心に見られる観光案内
用の石柱と同型で、正面(南面)に「刀鍛冶発祥
の地」、東面に「旧鍛冶屋町」、西面に「中世、
この地に『其阿弥』ら刀鍛冶が住んでいました」
と刻み、足形のすぐ傍に建てられている。
 施主は行政や観光協会ではなく、かってここ鍛
治屋町に屋敷・工房を構えた中世以来の刀鍛治一
派、″其阿弥(ごあみ)″の流れを汲む其阿弥覚
(さとる)さん(其阿弥本家当主、廿日市市在)。
 かねてより、鍛治屋町跡を伝える案内標示を希
望されていた其阿弥さんは、行政や観光協会など
へ提起、設置に関しての協議・調整を経て、自費
を投じて鍛冶屋町跡の標柱を設置されたという次
第(石屋町の標柱はあるが、何故か鍛冶屋町だけ
無かった)。
 設置を見た翌日、ご夫妻で来尾された其阿弥さ
んは、早速に鍛冶屋町跡の標柱を見学され、コレ
クションする其阿弥作の刀がご縁となった佐々木
猛朗さん、尾道学研究会企画事務局の林良司さん
がこれに立ち会った。
 見学の際、鍛冶屋町最後の職人であった大正人
さん(故人・大豊鉄工所)の妹さんが偶々居合わ
せ、「其阿弥さんの名は父からよく聞いておりま
した」と、鍛冶屋町の歴史に欠かせない其阿弥さ
んの来訪に驚き、また喜ぱれていた。因みに大豊
鉄工所の位置に、其阿弥本家の屋敷があった(戦
後、其阿弥家から大豊鉄工所へ移った)。
 其阿弥さんは、「″刀鍛冶の町でもあった尾道″
が忘れ去られてしまわない様、職人街であったこ
の地に、その痕跡を伝えるものが出来感無量です」
と語り、安堵の表情を浮かべられた。
 同じく其阿弥さんが建立された宝土寺(東土堂
町)墓地の刀鍛冶供養塔、鍛冶屋町に隣接する艮
神社境内の顕彰碑と鍛冶屋の守護神・金山彦神社、
そして其阿弥の名の発祥を伝える常称寺(西久保
町)と、刀鍛冶の町尾道を巡る散策コースも、其
阿弥さんは大いに期待されている(石工と共に、
ものづくり・職人の町尾道を巡るという切り口も
面白い)。
 其阿弥さんと尾道に関しては、本紙1月27日付
け【刀鍛冶其阿弥の末裔】、3月16日付け【刀鍛
冶其阿弥の末裔後日談 尾道で先祖と再会す】で
も紹介されています。

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