2008年12月7日(日) 尾道をゆく52. 一寸まてでんしやはこぬか 尾道学研究会 林 良司 |
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栗原の大池手前、尾高を下った位置の道路脇に、 一体の石地蔵が立つ。その前に些か不自然な形で、 苦悶の表情で屈み込む石像がへぱりつく。浄泉寺 (西久保)の天水鉢にも見られる天の邪鬼である。 刻み込まれた年号は「昭和三十一年十月吉日」と あって、上段に構える地蔵さんに同じく古いもの ではない。 今回の″ゆく″の赴く先は、この栗原の天の邪 鬼ではなく、その手前に立つ石柱が目指すところ になる。 正面に「如夢幻泡影如露亦如..」、裏面には 「佛身充満法界」と刻まれ、その碑文と立地する 環境から、或いは交通事故犠牲者の慰霊碑かと想 像されて来るが、向かって左側面(北側)の碑文 から、その想像は外れる。そこには「一寸まてで んしやはこぬか..」(ちょっと待て電車は来ぬか) とあるのだ。 街かど文化館で開催中の尾道鉄道展へ来られた 鉄道愛好家の方から、尾鉄時代の電車注意を促す 石碑が遺っているとの情報を得ての発掘であり、 トンネルや橋脚跡といった分かり易い大物と違っ て、これまで洩れ落ちていた尾鉄関連遺構であっ た。 右側面(南側)には、地元施主の方の名前が2名 あり、続いて「昭和三十年九月四日当所に於て」 と刻む。建造年から石地蔵及び天の邪鬼とは別物 である事が判る。 隣接するお店の方によれば、石柱は尾鉄の人身 事故で亡くなった地元の方の慰霊碑と聞き、佛身 云々の文言に納得する事が出来た。 後で追伸的に入って来た地元情報によると、事 故は木頃本郷の美木中下であり、慰霊碑は元々そ の現場に建てられたが、亡くなられた方が竹屋の 方であった為、地元の地である現在地へ移設され たそうだ。 慰霊碑や供養塔自体はよくある事で珍しいもの ではないが、事故を繰り返さない様、車に注意な らぬ″電車に注意″を喚起する役目を担っている ところがミソといえる。 慰霊碑兼安全標識建立から9年後(昭和39年)、 尾鉄は廃線となり電車が往来する事は無くなった。 それから半世紀目前の40年以上の歳月が過ぎ、こ うした遺構の存在はおろか、尾道鉄道の記憶すら 遠のきつつある中、沿線に遺されたこの小さな慰 霊碑は、″一寸まてでんしやはこぬか..″と、ガ タゴトと尾鉄が走っていた時をいつまでも刻み続 けている。 ※不幸にも亡くなられた方のご冥福を、謹んでお 祈り申し上げます。 |