2008年10月15日(水)
峰岸徹さん
 尾道ゆかりの役者逝く
  大林映画《さびしんぼう》や《あした》に
峰岸徹さん
 尾道映画《さびしんぽう》など大林宣彦監督
(70)の作品に最多の出演を誇り、《あした》
(1995年公開)では、ロケ中の1ヵ月間尾道に滞
在、旅客船の事故で妻子を亡くした夫役を、悲し
みを込めて演じた俳優峰岸徹さんが亡くなった。
13日にはNHKをはじめテレビ、新聞が65歳の早
すぎる旅立ちを監督のインタビューなど交えなが
ら報じた。映画撮影を通じて、長年親交のあった
大谷治さん(56)に思い出を寄稿してもらった。
                 「幾野伝」

 峰岸徹さんの訃報に接し、底知れぬ寂しさを覚
えます。
 大林宣彦監督の映画では「常連」で、出演者と
いう以上に大林作品の「支援者」としての大きな
心の柱を失った気がします。
 大林監督の尾道作品は、日本で最も素晴らしい
演技者の多くによって彩られています。峰岸さん
も尾道作品には沢山出演されていますが、特に
1995年、尾道の海で撮影された映画『あした』は
私にとって印象的でした。
 阪神淡路大震災の直後とあって交通手段が寸断
され、当初は撮影自体も危ぶまれましたが、それ
でも東京から空路でスタッフ、出演者がなんとか
尾道での集結を果たしました。その映画で峰岸さ
んは、小林かおりさんとの夫婦を演じ、子役の大
野紋香さんと約1ヶ月間、常に行動を共にされて
いました。
 峰岸さんは大林組では「とんちゃん」と呼ぱれ、
二枚目半の明るさも手伝ってスタッフにも人気者
でした。峰岸さんの悪ガキ的なイタズラが、スタ
ッフのムードを和ませていました。スタッフから
私は、峰岸さんの雰囲気に少し似ていると言われ、
「兄貴」「おさむちゃん」とお互いを呼び合って
いました。
 映画『あした』は、旅客船の事故で家族が別れ、
夢枕などに届いたメッセージを頼りに船着場で一
夜の再会を果たす物語です。真冬で夜間ロケも多
く厳しいコンディションでしたが、ロケ後半には
峰岸さん主催で湯豆腐大会が開かれ、私に土鍋や
コンロの用意を依頼され、自身は近くのスーパー
に材料の買い出しなど、お世話を積極的にされて
いました。
 当時のホテルサンルートの最上階は撮影の衣装
部屋として使われていて、衣装がいっぱいでした
が、そこは峰岸さんの話術で、みんなが車座にな
るスペースを空けてもらい湯豆腐大会は実現しま
した。だしの取り方やうんちくを随分聞かされた
上で、やっと頂くことが出来ました。
 この映画の中の演技は迫真に迫る勢いで、私は
圧倒されました。作品ごとに表現の幅はとても広
かったと思います。
 大林監督の『風の歌が聴きたい』に出演された
のがきっかけとなり、宮古島のトライアスロン大
会に毎年出場し完走、その年齢制限の撤廃に尽力
されたとか。
 我らが永遠の悪ガキ少年峰岸徹さんは、「少し
風の歌が聴きたいー」と出掛けて、そのまま逝か
れました。映画『あした』で共演され、先年亡く
なられた植木等さんと共に。又千の風になられた
のかも知れません。 合掌
(=写真は06年9月、《22才の別れ》初号試写の
時の峰岸さんで、本紙撮影)。



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