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2008年10月5日(日) 平山郁夫美術館 「前田青邨平山郁夫師弟展」始まる 西日本で初の企画展 平山画伯が参観者に作品を解説 |
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瀬戸田町、平山郁夫美術館で秋の特別展として 「前田青邨平山郁夫師弟展〜心の系譜」が4日始 まった。平山画伯が昨年3月、10周年記念展以来、 1年7ヵ月振りに帰郷、訪れた鑑賞者約100人 に作品を解説、前田画伯の3女、秋山日出子さん と4女、長島照子さんも列席、前田画伯の思い出 を語り、オープンに華を添えた。 午前9時半から開会式がおこなわれ、平山郁夫 美術館、亀田良一理事長が挨拶に立ち「師弟展と いう西日本で初めての企画が誕生した。平山美術 館は10万人前後で推移、これから平山先生と協議、 新しい運営方法や企画を考え、盛り返していきた い。私も30才頃からチャーチル会に入り日曜画家 として絵を描いてきた。尾道といえば小林和作画 伯、小林画伯とは師弟関係でどうしても、特色が 似てくる。優秀な先生がいると良い影響が出てく る。絵を描いていると人間的センスが身について くる。市長を辞めたが是非、平山先生が理事長を やって欲しいということで引き受けた。今後、シ ルクロードの文化財企画展など西日本ではやって いない展覧会を考えている」と大型企画展を打ち 出していきたいと抱負をのべた。 続いて共催の中国新聞備後本社、兼重収代表が 「師弟展では受け継がれてきた日本画の伝統を見 て欲しい」と呼びかけた。 平谷祐宏市長は「芸術の秋に、市の名誉市民、 平山先生と師匠、前田先生の師弟展が開かれるの は、この上ない喜びです。日本人の美意識、心を 堪能する機会を与えていただき感謝しています」 とお礼を述べた。前田、平山両画伯展が開かれる のは西日本では初めて。 平山画伯がスピーチに立ち、「前田先生とお会 いしたのは昭和26年、先生が66才、私が21才で卒 業制作中の画学生で以来、92才で亡くなるまで四 半世紀、おそぱで学ぱせていただいた。先生は手 取り足取り教えるのではなく、目の表情、顔のあ り方と背中をみて学んできた。 法隆寺金堂壁画再現模写は先生が80才、高松塚 古墳壁画現状模写は88才、体調を崩し入院中にも かかわらず、総監修をつとめられ、老齢を押して 古墳の中に入って絵を間近に見られた。自分自身 が調査しないと責任を持てないと言われていた。 最後まで自分に厳しい方だった。北朝鮮の国宝、 高麗の壁画は一級品だが、高松塚は幼碓園だと文 部省の役人の前で平気でおっしやっていた。 前田先生からは芸術の心、精神を学ぶことがで きた。師弟展では先生の多くの作品を並べた。で きるだけ沢山の人に先生の絵を観ていただきたい」 と故前田画伯との思い出を語った。 平山画伯と美知子夫人、前田画伯の3女、秋山 日出子さん、4女の長島照子さん、平谷市長、亀 田理事長、兼重代表がテープカット=写真=し、 開幕を祝った。 平山画伯が館内に展示されている約60点の作品 を解説。師弟で苦労して再現した「法隆寺金堂壁 画」や現状模写した「高松塚古墳壁画」、2週間 限定展示の前田画伯の「洞窟の頼朝」、前田画伯 が直球で描いた「竹取物語」。自身がシルクロー ドに取り組もうと心に刻んだ最初の作品「求法高 僧東帰図」、アフガン戦争で破壊された大作「バ ーミアン大石仏を偲ぶ」、イタリアにスケッチ旅 行したアッシジの「サンフランチェスコ寺」など 一点一点、丁寧に説明して回った。 その後、秋山さん、長島さんと記者会見にのぞ んだ。 平山画伯は「師弟展を開くことで美術館の格付 けがあがった。前田先生は欧州、東アジアと旅し、 異文化を吸収し、絵の幅を広げていった。それに 日本画家として一本、筋が通っていた。次の日本 画をどうするか、たえず精進し、次の世代を育て ていった」と師匠前田画伯の思想にふれた。 世界遺産に関わり、福山鞆の浦景観問題に「一 度崩したら、どうにもならない。YESかNOで なく、バランスを取りながら解決できないものか。 急がずにもう少し、慎重に取り組んで欲しい」と 県、福山市に苦言を呈した。 秋山さんは「父は困った時にはいつも平山先生 に助けてもらっていました。その印象が強く残っ ています」と思い出を語っていた。 師弟展は11月24日まで。入館料は一般1000円、 高大学生400円、小中学生200円。 |