2008年8月6日(水)
70年越え回顧展
吾が若き日の心のとびらここにひらく−
 31歳戦死 原田富夫の写真世界
  「生きる姿」テーマ、時代切り取る
展示の様子
作品群
 「原田富夫回顧写真展」が長江口、中屋菓寮で
開かれている。31日まで。原田さんは土堂2丁目、
婦人服「レディースはらだ」の原田寿賀(すが)
さん(88)の夫で、第二次大戦末期に出征し中国
満州で戦死した。1930年代、昭和8〜15年頃に撮
影されたモノクロの作品には、元気な子供達や尾
道の生活風景が捉えられており、70年の月日を越
えて多くの人の目に触れることになった。10日は
富夫さんの推定命日にあたり、展覧会は『平和』
への強い願いも込められている   [幾野伝]

 原田富夫さんは1914年土堂生まれで、32年に尾
道商業高校を卒業、羅紗・衣料をあつかう家業を
継いだ。19〜20歳で始めた写真の魅力に取りつか
れ、ドイツ製のカメラで近所の少女をモデルに
「麗ちゃん」シリーズを開始。毎月、写真雑誌に
投稿し数多くの入賞を重ねることで全国的にもそ
の名が知られ、写真家の植田正治(鳥取県出身)
らとも深い親交があった。
 その後戦時色が強まって趣味である写真撮影を
中断、41年に寿賀さんと結婚、43年に長男秀夫さ
んが誕生した。45年3月、戦争の激化で志願して
出兵、ソ連と中国満州の国境に送られ、家族を気
遣う葉書を最後に音信不通になった。戦後、「帰
ってくることを待ちわびた」が、赴任地の状況を
よく知るという戦友が訪ねて来たことで、推定8
月10日の戦死が確定した。享年31歳。
 今年3月に写真家の村上宏治さん(市文化財保
護委員)が、原田さんの家族によって見つけ出さ
れたアルバムを見せてもらったことから取材が始
まり、回顧展を企画、プロデュースした。サプタ
イトルが「若者への応援歌 写真に込めた二十歳
の青春」。アルバムには700点を越える作品が
納められているが、今回はこの中からコンテスト
で入賞した写真(モノクロ)40数点を選んで、村
上さんが6つ切りとB1サイズに複写、傷んだ箇
所を復元した。解説資料などにはアルバムの冒頭
に綴られていた「吾が若き日の心のとびらここに
ひらく」の言葉が作者からのメッセージとして添
えられている。
 作品は「麗ちゃん」シリーズをはじめ子供達が
遊び子守りする姿、い草の収穫などの農作業、漁
町のようす、街頭で一銭洋食(尾道饅頭?)を買
い求める子供、土堂小学校の校庭、因島の大浜灯
台付近から向島立花を望む風景写真には帆船が写
されている。
 西國寺山の「タンク岩」だろうか、大きな岩の
上で男児達が日の丸を掲げ、進軍ラッパを吹き、
おもちゃの刀を振るって遊ぶ姿もあり、当時の社
会状況を如実に伝えている。当時は戦争体制下に
あったといえ、登場人物はどの作品も穏やかで、
生き生きとしているのが特徴。
 山の上に立つ男が、大根の干された木を仰ぎ見
ている心象的な作品は、1970年の大阪万博で、
「昔懐かしい日本の風景」を伝える1枚として、
タイムカプセルに入れられたという。
 会場では、村上さんと同じく写真家の麻生祥代
さんが寿賀さんにインタビューし制作、映像コン
テスト「五分間ノ尾道物語リ」で佳作に入賞した
「その時代に光をあてた写真家・原田富夫」のD
VD作品が繰り返し放映されている。この時の取
材が今回の写真展開催に繋がった。
 「記録という写真の使命に加えて、更に当時で
はまだ珍しかった写真芸術の世界に入り込んで、
しかも楽しみながら作品をつくっていたことが伝
わってきます」と村上さん。富夫さんの長男、原
田秀夫さん(65)は「物置の奥にアルバムを見つ
け出し、村上さんはじめロータリークラブの方々
に協力頂いて五分間の物語に続いて写真展が実現
した。若い方には、物が無く不自由な時代でさえ、
何でも楽しみながら頑張れば全国に通用する物が
生み出せるということを知ってもらえれば」と語
っている。
 寿賀さんは「若い頃の情熱。不自由な時代にも
見つけた楽しみ。その頃の尾道は『あんなだった』
との思い出。そして写真好きの方には70年前当時
の写真の世界。それぞれの方々に色々感じていた
だけると幸いです」とあいさつ文に綴っている。

場所はこちらの「な」(中屋本舗2階)





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