2008年7月8日(火) 再建「呼子丸」 瀬戸内海木造船の『技』永遠に 子供乗り 最小の船 古里・伯方島で進水式開く |
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かつて瀬戸内海を走っていた木造旅客船をスケ ールダウンして忠実に再現した船が6日、愛媛県 今治市伯方町の現役の船大工、渡辺忠一さん(74) の造船所で進水式を挙げた。大林宣彦監督(70) の尾道映画《あした》に登場した「呼子丸」を市 民の募金により実物の6分の1の大きさで再建し たもので、将来的には、現在計画が進んでいる監 督の生家(東土堂町)を活用した映画資料館で、 永久保存されることになる。 [幾野伝] 映画《あした》(1995年公開)は、バスが湖に 落ちた事故で亡くなった人達が、一晩だけ家族や 恋人に合いに帰ってくるという赤川次郎さんの小 説『午前0時の忘れもの』が原作で、「尾道の物 語−」ということから、大林監督が「船と海」に 舞台を替えて映画にした。 劇中で重要な役割を果たした木造船「呼子丸」 は本船名「だいふく」(長さ約21m)で、1959年 に建造され笠岡市北木島(金風呂港)、その後19 73年から「三高丸」と改名し、広島沖の能美島 (三高港)と広島・宇治とを結ぶ定期船で活躍し た。当時すでにその多くが鋼鉄船に代わり、貴重 な木造旅客船となっていたが、撮影のために船主 から譲り受けて、その姿を映画の中で永遠に残す ことになった。 撮影の終了後、「呼子丸」は尾道市に譲渡され、 尾道水道の向島側に5年ほど係留されていたが、 現役でなくなったための老朽化と、撮影のために 多く穴が空けられていた船底から浸水し、結局20 00年夏に廃棄処分された。 その後、ファンから再建を望む声が多く寄せら れる中、「船そのものは無くなったが、瀬戸内海 の木造船の文化を伝えるために、何とか設計図だ けでも探してみてほしい−」と大林監督が要望。 尾道大林宣彦映画研究会の大谷治さんが調査・追 跡した結果、奇跡的に当時の「だいふく」を棟梁 で建造した愛媛県越智郡伯方町(現今治市)の渡 辺忠一さんを探し当て、現役の船大工であること から再建を依頼した。 2002年に大谷さんを委員長に、「呼子丸再建お のみち実行委員会」を発足。市民や観光客ら延べ 1000人からの浄財が再建資金に充てられ、「大き な模型ではなくて、瀬戸内で一番小さくても本物 の船にすることで、渡辺さんの船大工としての経 験と技を伝え残したい」と、実物の6分の1の大 きさ、長さ3・6mで再建、1年半掛けて2004年 春に完成した。これまで、艤装工事が行われた向 島ドックやホテルのロビーなどに置いて多くの人 の関心を集めてきた。 進水式には再建実行委員会のメンバーと向島町 のボランティア、近所の人達50人が参加。造船所 は、しまなみ海道の大三島大橋が望める鼻栗瀬戸 のそぱにあり、日の丸旗や笹竹で飾られた船体に、 渡辺さんの手によってお神酒と玉串が供えられ (=写真上)、船の安全を願う「船魂」が操舵室 に入れられた。 大谷委員長が再建の経過を説明し、「かつて瀬 戸内海を走っていた木造の旅客船のようすを正確 に留めた唯一の船であり、資料というよりは作品 として永遠に残していきたい」と語った。 クレーンを使ってゆっくり着水したが、船体の 傾きなどは全く見られず(=写真下)、半世紀前 の「だいふく」と同じ勇姿を再現した。「子供が 実際に乗ることで、模型ではなく本物の船として 認定してほしい」との監督の願いもあり、式に参 加していた吉浦彩音ちゃん(2つ)が甲板に座り (=写真中)、言い伝えのとおり辺りを3周して 竣工を祝った。 「呼子丸」は暫くの間、撮影地となった向島町 立花が学区内の市立高見小学校(河野真由美校長) に置かれる。将来的には、東土堂町の監督の実家 を活用して整備が計画されている映画資料館に、 瀬戸内海の木造船文化(技術)の証しを伝える資 料として永久保存されることになる。 |