2008年1月18日(金) 商業記念館 企画展示「通信と鉄道」に光を 今年度も12月末で3万6000人入館 |
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土堂1丁目、尾道商業会議所記念館の展示室で、 「尾道の通信と鉄道の歴史」にスポットをあてた企 画展示が行われている。2月27日まで。 6回目になる企画展示で「尾道あ・ら・かると〜 通信と鉄道」のテーマで、写真パネルや1909年発行 の電話帳(尾道商工会議所所蔵)、明治の磁石式壁 掛け電話機(御調歴史民俗資料館所蔵)など17点が 展示されている。 尾道では他の主要都市とともに1873年10月、尾道 電信分局が開設され電信の取り扱いが始まった。 「尾道が岡山と広島の中間に位置し、商都として重 要だったから」と解説。 尾道で電話が開通した1906年の3年後に発行され た電話番号簿(会議所所蔵)には、尾道の加人数が 333件、福山160件、糸崎26件を記載。尾道商工 会議所の電話番号は200番だったという。磁石式 の壁掛け電話機(=写真上)は「1890年代から使わ れていたもので、ハンドルを回して交換手を呼び出 していた」。 鉄道に関しては1891年に福山〜尾道間が開通した 山陽鉄道と、尾道〜御調町市を結び「おのてつ」の 愛称で親しまれた軽便鉄道「尾道鉄道」に詳しく触 れている。「山陽鉄道の工事によって、尾道の町の 様相が変わっていった。ここから坂の町尾道が始ま ったと言える」と説明。 尾道鉄道で実際に使われていた敷設レールや電気 を引き込むトロリー線など個人所蔵のゆかりの品を はじめ、尾道高校下を走る電車や1925年に西尾道〜 木ノ庄石畦間の開通を祝った花電車の写真パネルを 掲示(=写真下)。 当初鉄道は尾道〜三成〜市村〜上下〜三良坂〜三 次に至る計画だったことや、その後尾道〜上下間の 鉄道敷設を申請していたが、1932年には財界の不況 で市村〜上下間の起業廃止届けを出したことなど、 1964年の完全廃止までの歴史を記している。 管理する市商工課商政係によると、2006年3月に オープンした商業会議所記念館は、初年度に4万58 97人が入館、2年目の今年度も12月末までに初年度 と同じく約3万6000人が入っており、観光客が気軽 に立ち寄るスペースに定着している。 [幾野伝] |