2007年12月13日(木)
惜別
 さようならチュウさん
  大林映画で巧みな操船を
◎..「ヤマチュウさん」とか「チュウさん」と親
しみを込めて呼ぱれていた山本忠(ただし)さん
が亡くなった。チュウさんとは大林映画を通じて
仲良くしてもらった。
◎..汽船会社を経営する傍ら、音楽バンドの活動
をしていたチュウさんは、尾道での大林映画では
縁の下の力持ちであった。新3部作2作目の《あ
した》のロケでは、当時すでに姿を消していた木
造旅客船が広島沖の能美鳥に現存するという情報
を掴んだのはチュウさんだった。そしてある意味、
物語の″主人公″であった「呼子丸」の難しい操
船を自身で見事にやってのけた。純白の呼子丸が
強くもあり優しくもある、まるで1つの人格を持
っているかのようにスクリーンで輝いたのは、チ
ュウさんの巧みな操船技術があったれぱこそと称
された。
◎..いつも目立たず、騒がず、静かな人だった。
特に印象に残っているのは、3作目《あの夏の日、
とんでろじいちゃん》の浦崎町での撮影のこと。
クライマックスで主人公の男の子と少女が突堤に
座って話している、その沖をタグポートが旋回し
ていくというシーンだった。
◎..本番が近付き、チュウさんが静かにタグボー
トを岸に近付ける。この時も絶妙のタイミングだ
ったことを思い出す。トランシーバーで伝えられ
る監督の思い通りに動いて見せ、一発で監督の
「OK!」の声を聞くと、何事もなかったかのよ
うに静かに去って行った...そんな人だった。
◎..今夏開いた《転校生》上映会が最後となった。
これから始まる監督の資料館設立も一緒にやって
いこうと話していた矢先での別れとなった。
                  [幾野伝]



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