2007年5月20日(日)
尾道ベッチャー祭 二百周年に寄せて
 総代長所有写真に見るベッチャー祭
 昔の祭りの様子
 ゴールデンウィークに開催した尾道ベッチャー
祭写真展は連動イベントとともに大変な好評をい
ただいた。観光の方々はこの不思議な祭に興味を
示し、地元の方々は自身のベッチャー体験につい
て談笑する。予測していたことだが、写真やビデ
オに親族の方が写っているなどの話しがあった。
また、帰省した家族にも見せたいのでお盆にもう
一度との声も多かった。
 今回、土本寿美さんの写真に混ざって、唯一展
示した写真がある。尾道一宮神社総代長が所有さ
れる写真だ。大正か昭和初期頃のものではないか
という話であるが年代不詳である。また、総代長
はこの中に知った顔が無いといい、所有に至った
経緯なども解らないという。この写真自体は台紙
に貼付けられており、その台紙の状態から大正か
ら昭和初期というのもそう間違いなさそうである。
この写真を注意深く観察すると様々なものが見え
て来る。
 まず、写真の左右に写真の紙のふちが写り込ん
でいる。これが示すのは、この写真が別の写真を
接写することにより複写されたものであるという
ことである。つまり、大正か昭和初期頃ではない
かというこの写真は、より古い(少なくともこの
写真より以前の)別の写真から複写されたものと
考えられる。台紙に貼付けられている理由も、記
念かなにかの為に複写されたのではないかと想像
される。
 写真の撮影場所は一宮神社前、現在社務所が建
っている辺り。中央上に見える屋根が拝殿。太陽
の光の具合から察するに午前中の撮影。おそらく、
練り歩き開始前の記念撮影であろう。着物姿の人
物が並び、面の囃子太鼓(お宮ではとことん太鼓
と呼んでいる)も見えるが、この中には紺に白の
法被姿の人物が見られない。11月3日の練り歩
き前とすれば神輿はお旅所にあり、神輿を担ぐ法
被姿が無いのも当然かもしれない。一宮社由来に
は「神輿を先頭に獅子、ベタ、ショーキ、ソバな
る異様なる装束を着せる者之に随い行事を為した」
とあるが、神輿が先頭に立つのは間違いであり、
この次第が誤っているというのが定説である。し
かし、この写真を見る限りでは、神輿と面が別行
動を取っていたようにも感じられるし、あながね
否定も出来ない。
 三面を見てみよう。互真右手のぺ夕は面が異諾
に大きく見える。しかし、これは面が大きいので
はなく、面を付けている人物が小柄なためこう見
えている。今ではぺ夕は大柄で恰幅のいい人物が
入るようになっている。また、最近では髪をだら
りと前に垂らしているが、額を出しさっぱりとし
た印象を受ける。面の色は黒っぽくて別の面のよ
うに感じるが、塗り直しし補修する前の現存する
面である。
 その隣りのショーキーを見てみる。鼻高面に鳥
兜は変わりないが、かつらを付けているように見
える。額から眉にかけて面を覆うように毛が垂れ
下がり、面の特定を困難にしている。現在の面も
何度か修復し毛を植え直しているが、この面は毛
の生え方が違うようで、量や生える向きなど相違
点がある。一宮神社総代によると、ショーキー面
は大正期に暴れすぎて鼻が折れ、その後に新調さ
れたのが現存する面だという。写真の面が鼻の折
れた面と言う憶測は出来るものの断定は出来ない。
 最後に中央やや左のソバである。ソバは子供の
おもちゃの面としても大気があったようだ。今回
一番の発見がこのソバではなかろうか。白い面と
して記憶に刻まれているソバ面が、なんと茶色い
のである。鼻なめの長い舌や各部の形状などから、
現存する面と同じものと確認できる。総代の話で
は昭和の初め頃に自く塗り直したという。総代も
話には聞いていたが見るのは初めてという反応が
多かった。また、面の修復の際には白い塗料の下
から茶色の塗料が出て来たという。しかし、白く
塗り直した経緯やはっきりとした年代の特定には
至らなかった。ソバの呼称については、最初に面
を付けた鍛治川福松氏の職業のそぱ屋からソバと
呼ぶようになったと、森信蔵先生によって確認さ
れている。この写真のソバが鍛治川福松氏である
可能性も捨てきれない。いずれにせよ、この写真
の年代の特定が望まれるところである。
 この写真に関する情報を募集しています。ご親
族、お知り合いの方が写っている、同様の写真を
所有しているなど、ご一報ください。尾道大学 
美術学科講師 田村禎英 電話0848-22-8311(代表)



ニュース・メニューへ戻る