2006年8月25日(金)
尾道商人のパワー
室町時代の短刀や日明貿易での中国の古銭
 企画展「自治都市 尾道」
  中世から近世にかけ港町を統治
展示の様子
 中世から近世にかけて港町、尾道を政治的、経
済的に動かし発展を遂げる原動力になった商人の
歴史をひもとく「自治都市 尾道」の企画展が土
堂一丁目、尾道商業会議所記念館で聞かれている。
 平安時代末期、後白河院領大田庄の倉敷地とし
て公認されて以来、瀬戸内海屈指の港町に発展し
ていくが本格的に商人が台頭し始めるのは室町時
代に入ってからで備後国守護の山名氏が勘合貿易
(外国貿易)の港として尾道を活用する。山名宗
全が亡くなったのち毛利家が支配を強め、毛利の
息のかかった豪商が尾道に移り住む。その代表が
渋谷氏(大西屋)、小川氏(笠岡屋)、葛西氏
(泉屋)。笠岡屋と泉屋は安土桃山時代文禄4年
(1595年)に尾道の代官に任命され、大西屋
は沼隈郡5カ村を支配し尾道商人が名実ともに政
治と経済を動かすことになる。
 江戸時代に入ると北前船西廻航路が開設され、
北前船の尾道寄港で尾道は「広島藩の台所」とな
り商人の力は飛躍的に高まった。堺、博多と同様
に商人が治安や問屋相互の取り引きを円満にした
り紛争防止にあたる自治行政を担った。
 このように中世から近代にかけて町の中心的役
割を受け持った商人をパネルで紹介するとともに
木ノ庄町で発見された日明貿易で使われた中国の
古銭53種類7545枚を展示している。
 人目を引くのは室町時代に尾道で作られた短刀。
備州住辰房實重の作で尾道は鉄の町としても隆盛
を誇り、その刀鍛冶の技術は尾道錨、プロペラヘ
と応用されていった。江戸時代、苗字帯刀を許さ
れていた尾道の豪商は武士への憧れもあったのか
家宝として甲冑を持っており、その1つが出品さ
れている。
 古文書は室町時代、千光寺の僧空真らが熊野那
智山の廊之坊で銭10貫を借り、返済は堺から為替
で送金した「備後国千光寺空真料足借券」の複製。
また鎌倉時代後期、京都の役人が歌島(向島町)
の代官に塩を買い送るように伝えた「歌島左右衛
門二郎宛書状」の複製を展示している。
 このほか江戸時代文化9年(1812年)に描
かれた帆船が行き交う尾道水道と同じ場所の大正
時代の絵はがき、現在の尾道港の写真と3枚のパ
ネルで変遷をたどっている。
 「自治都市 尾道」は11月29日まで開かれてい
る。
 [写真上は企画展の館内の様子と下は室町時代、
尾道で作られた短刀」。

場所はこちらの「お」



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