2006年8月25日(金)
大田貞男さん
《転校生》はいかにして生まれたか.2
 「本当に熱い夏でした」
  薩谷美術監督家族ぐるみに
   大林映画14本で大道具
 大林宣彦監督(68)の尾道映画の全作で「大道
具」を担当しているのが地元の大田建築設計事務
所社長、大田貞男さん(59)。もちろん映画製作
の初体験は25年前の《転校生》で、特に美術監督
の薩谷和夫さん(1938〜93年)とは家族ぐ
るみのつき合いを重ねた。吉浦町の西願寺に永眠
する薩谷さんの墓参は13年を過ぎた今でも毎月、
夫人と欠かさず続けている。そしていつでも次の
尾道映画に対応出来るようにと、古材や古い生活
用具など撮影で必要と思われる古道具を常に集め、
準備している。          「幾野伝]

 携わった作品は《転校生》をはじめ尾道ものが
11本で、その腕を買われて他に福岡県柳川市での
《廃市》(1983年)、南国ニューカレドニア
での《天国にいちぱん近い島》(1984年)、
千葉県船橋市での《北京的西瓜》(1989年)
にも参加、これまで合わせて14本にのぽる。
 大林映画とは出会うべくして出会ったと言える。
《転校生》より以前、今から30年ほど前に監督夫
妻が向島町立花の丘に別荘を建築、この時大田さ
んは木材を現場に搬入している。ちょうど相前後
した頃、監督にとって初の商業映画《HOUSE
/ハウス》が劇場公開され、そのPRで深夜番組
の「11PM」に出演したのを見たのが初めてで、
「その時は、尾道出身でこんな人が居るのかと思
いました」と振り返る。
 当時監督と親交の深かった本通りの喫茶店
「TOM」のマスター須賀勉さんが、薩谷さんか
ら「尾道に誰か大道具が出来る人居ない?」と相
談を持ち掛けられ、店を改装したことがある大田
さんに話しが舞い込んだのが始まり。《転校生》
は尾道でのオールロケーションで作られたが、資
金面などから大きなセットなどは組まずに、出来
るだけこの町にあるものを使って撮影された。
 薩谷さんが大林監督からのリクエストを受けて
描いたイラストレーションをもとに、イメージに
沿った洋服ダンスや本棚、机など、主人公の部屋
の作り込みに必要な家具類を調達。「市内や松永
まで探して回りました」と大田さん。西土堂町の
洋館「弓場邸」や尾道高校放送室の模様替えなど、
大工仕事も行った。
 名シーンと言われる長江1丁目、御袖天満宮の
石段での撮影では、木の板を本物の御影石に見せ
る塗装作業も担当。「現場でやること全てが初め
てで、映画はこうして作るのかと感心しました。
その後本業でも映画で学んだ技術が生かされるこ
とがあります」と映画と出会った幸福感を喜ぶ。
 「話しを聞いて撮影までの準備は1ケ月無かっ
たと思います。今と比べてスタッフは少なく、車
もあまり使わずみんな元気に歩いていました。私
は30代半ば、撮休は無く強行軍でした。本当に熱
い夏でした」と述懐。「国道2号線の通行を止め
て、一美(小林聡美)が土堂の陸橋を自転車で一
気に走り登った場面の撮影は特に印象に残ってい
ます」と話す。
 薩谷さんが残した膨大な資料も自社倉庫で大切
に保管しており、「いつかこれらが日の目を見る
ことを夢見ていますが、何より監督がまた尾道で
映画を撮ることを待ち望んでいます」と笑顔でラ
ブコールを送っている。

当時の写真の転載は遠慮しました。(著作権P.S.C.)


関連の話が詳しく載っている本は
「大林宣彦のa movie book尾道」


その他の大林作品ロケ記事は下記に
「さびしんぼう」「あした」

「あの、夏の日〜とんでろ じいちゃん」



ニュース・メニューへ戻る