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2006年8月24日(木) 当時の本紙面から 《転校生》はいかにして生まれたか.1 25年過ぎても心の中に 監督講演「郷里での撮影には決心がいる」 |
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尾道の名を全国区にし、現在の「古里尾道」を 再確認することになった映画《転校生》が、大林 宣彦監督(68)によって古里尾道で撮影されて、 この夏で25年を迎えた。尾道の町にとっても大林 監督にとっても、大きなターニングポイントとな った《転校生》。今も多くの人に愛され続ける作 品はいかにして誕生したのか。当時を知る関係者 と大林監督に、インタビューと寄稿の形で語って もらう。初回は当時の本紙面を再掲載(一部校正) してみる。 [幾野伝] ◇映画《転校生》は1981(昭和56)年8月の 撮影で、劇場公開は翌年の4月17日。撮影直前に スポンサーが降りるなど、製作自体が中止になる 可能性も大いにあったなか、故中田貞雄・商工会 議所会頭はじめ多くの尾道の人に助けられ、映画 史に残る古里映画の傑作は出来上がった。尾道3 部作の第1作目となる。 【1981年8月1日(土)付け1面】3日から尾 道ロケ 大林監督の「転校生」 「ハウス」などの作品で、特異な映画監督とし て、また若者に人気のある大林宣彦氏がメガホン をとる「転校生」は三日から尾道ロケに入る。 坂道、寺の墓地、アーケードのある商店街など。 最終日は30日で尾道高校、29日は日比崎中をロ ケ場所に予定しているが、天候によって31日にず れこむ場所もある。 9月1日から7日まで実景撮影を予定している。 ◇8月6日夜には、尾道市が監督を講師に迎え、 講演会を開いている。 【1981年8月8日(土)付け1面】風土の表情 を講演 大林宣彦映画監督 尾道市は観光週間中の6日午後7時から久保二 丁目、共同福祉施設で講演会を開き、約70人が 集まった。 瀬戸内海汽船が製作し市に寄付した「尾道の四 季」を映画上映、福岡助役の挨拶、ついで講師の 大林宣彦・映画監督が1時間にわたり「風土の表 情」を語った。 大林監督は「作家が出身郷里で映画を撮影する には決心がいる。ライフワークのような仕事にな る。なぜ作家が古里を描くのか、私の意識が試さ れる」と前置きし、「作家の私には高校卒業まで 育んでくれた尾道の千光寺山、浄土寺山、また高 見山を連想するが、カメラマン、美術、照明係に はそれぞれ育った土地の山があり、各自ひとりひ とりにも『山』があり、異なっている」と芸術の 妙を話し、感受性、個性、魅力ある裏切り、テレ ビと映画の違いなどについて同氏の所論をのべた。 3日から尾道市内で「転校生」の現地ロケをし ており、今月末で終わる予定。 昭和13年生れ、尾道北高校、成城大学。 代表作に「ハウス」がある。22日から尾道松 竹で「ねらわれた学園」の上映がある。 ◇同日付け「山陽余韻」でも、同講演について触 れている。その内容からみて、大林監督はこの時 初めて古里で講演したことが分かる。 【1981年8月8日付け】 ▼尾道市の観光講演会で、大林宣彦・映画監督の 講演をきいて得をしたという気がした。同氏がタ テ板に水を流すがごとくプレなく語り、あっとい う間に1時間経ち、これだけの語り口とはついぞ 知らなかった。 ▼「得をした」とはここで″未知の世界″の話を きいたというのが正直な感想。ロケの最中に地元 の老婦人から息子の相談をうけて答えた挿話も感 動させられる部類となろう。 ▼チャールズ・プロンソンの「マンダム」という テレビ用コマーシャルも、大林監督の作品だが、 プロンソンが猛夏でも水を飲まず、我慢し、太る ことを警戒しているという俳優としての忍耐心も 面白い。 ▼開会直前数人だった会場がやっとらしい席数に なったが、もっと若い世代にきいてもらい、参考 にしてもらいたい内容だった。芸術家の感覚の一 端をうかがい知った。 |