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2006年6月21日(水) 刻まれた墓の文字から 玉蘊忌で池田明子さん講演 |
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江戸・文化文政期の尾道出身の女流両家、平田 玉蘊(1787〜1855年)を顕彰、継承する 「玉蘊忌」が祥月命日の20日午前、市立中央図書 館で開かれ、市民20人が出席した。 13年目となる玉蘊忌実行委員会(入船裕二実行 委員長)の主催で、ノンフィクション作家の玉蘊 研究家、尾道市文化財保護委員の池田明子さん= 写真=が「玉蘊さんのお墓と記念碑」と題して講 演した。 西土堂町、持光寺にある玉蘊と両親の墓に刻ま れた文字などから当時の様子について説明。玉蘊 が19歳の時に父新太郎が亡くなり、その後54歳の 時に他界する母峯と2人でずっと生きた。 玉蘊の墓には正面に「平田玉蘊墓」とだけ記し てあるのは、その後、左右背面に宮原節庵(頼山 陽の高弟)によって経歴などが刻まれる予定だっ たが、結局は実現しなかった経緯などについて、 明治40年に語り残っている持光寺の先々代住職、 松岡真龍上人談の文書などから解説した。 [幾野伝] |