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2006年4月29日(土) まちかど尾道学ミュージアム 〜持ち寄られた尾道絵葉書から 『絵葉書』に記憶された尾道 尾道市文化財保護委員 尾道学研究会々長 天野 安治 |
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絵葉書の誕生 世界最初の葉書は、一八六九年(明治2)、オ ーストリアで発行された。この葉書は料額印面の 入った官製葉書であったが、一八七〇年代になる と、裏面に絵や写真を印刷した絵葉書が登場、し だいに人気がたかまって、一九世紀末から二〇世 紀初頭、一大ブームとなり、やがて、その波は日 本にもやってくる。 絵葉書には、風景、鉄道や船、名所・旧蹟、都 市情景、美人をはじめとする人物、風俗、動植物、 絵画・工芸、事件・天災、戦争など、あらゆるも のが題材として、葉書サイズの紙に切り取られて いる。 絵葉書は写真の発達と、それを紙に印刷する印 刷技術の発達、それに、郵便という、当時、世界 でもっとも一般的な通信制度の三者が結びついて 生れたもので、ヴィジュアルな情報をコンパクト な形に切り取り、郵便という安価なコストで、国 内はもちろん、世界中に発信できる、当時のハイ テク情報伝達手段であった。 日本でも絵葉書ブーム 日本では、一九〇四〜○五年(明治37〜38)の 日露戦争のとき、逓信省が戦役記念絵葉書を多数 発行したのが引き金となって、官公庁など公的機 関から、イベントなどに際して、記念絵葉書が続 々発行されるようになった。 また、民間でも、観光、宣伝などのため、各地 で絵葉書がつくられた。太平洋戦争中はさすがに 下火となったが、戦後に復活、一九六〇年頃まで 発行はつづいた。 その後、カメラの普及で、だれでも写真が撮れ るようになると、絵葉書はしだいに姿を消して行 った。 絵葉書が見直される こうして姿を消した絵葉書であるが、あまりに も身近な存在であったため、軽視され忘れられて いた。しかし、ここにきて、絵葉書に対する関心 が全国的にたかまってきている。明治、大正、戦 前の昭和、それぞれの時代を映す貴重な資料とし て、注目が集まってきたのである。インターネッ ト・オークションでも、取り引きが活発になって きている。 尾道の絵葉書 ところで、尾道の絵葉書である。尾道を描く、 尾道に関連した絵葉書は、地方都市としては多く 残されている方であろう。それは絵葉書がつくら れた時期の尾道の姿を物語っている。 尾道学研究会では、先日、おのみち街かど文化 館で開催した企画展において、「尾道の絵葉書」 を併設した。埋もれている尾道の絵葉書を、これ を機会に発掘しようと試みたわけだが、嬉しいこ とに、さっそく、何人もの方から提供があった。 尾道学研究会では、これら「尾道の絵葉書」の データベース化を計画している。そして、記録を 積み重ねて、将来は「尾道の絵葉書総目録」を完 成させることができたらと考えているが、次々と 未見のものが出てきて、先が楽しみである。尾道 の絵葉書をお持ちの方は、ぜひご提示ください。 尾道絵葉書発掘...鉄道編 今回から何回かにわたって、今までに確認され た尾道の絵葉書を、いくつかのテーマに分けて紹 介したいと思う。読者の中に関連したものをお持 ちの方があれば、ぜひご教示いただきたい。 ということで、第一回のテーマは鉄道。 図1と図2は尾道駅舎と駅前広場を写した絵葉 書。どちらもよく知られたものである。図1の駅 前広場は舗装されていないが、図2の方は舗装さ れている。駅前広場が舗装されたのは一九三五年 (昭和10)のことだから(「新修尾道市史第四巻」)、 図2はそれ以降のものとわかる。駅前にはポンネ ットバスが三台みられるが、これは初期の市営バ ス。ほかに、向って右手の隅に、タクシー一台、 人力車もみられる。自分にとってはどれも小学生 の頃の懐かしい乗物である。それに、戦中戦後も 大活躍した荷馬車も。こども時代を思い出させる 一枚である。 図1の方をみると、砂利の敷きつめられた駅前 広場にレトロバスが二台、車の後から出入りする タイプだが、これは、わたくしも記憶にない。一 九二六年(大正15)創立の尾道自動車株式会社の バスだろうか。とても貴重な写真である。 図3は尾道駅構内の写真で、下関側から見たも のである。レールが三本みられるので、山陽本線 が複線化された一九二五年(大正14)より後、そ して、連絡歩道橋がみられるので、一九二八年 (昭和3)三月以前の撮影と推定できる。「新修 尾道市史第四巻」によると、上り下り両プラット ホームを結ぶ地下道ができたのが一九二八年七月、 この前年から尾道駅は駅舎なども大改修されてい る。図1の絵葉書は、同年九月、改修完成後の尾 道駅舎の記念写真では、と思われる。 図4は山波海岸の、図5は浄土寺下の山陽本線 の線路、いずれも単線である。一九二五年(大正 14)以前のものと思われるが、図4は郵便に使用 されていて、大正13年の消印がみられる。山波の 線路と並んで国道二号線がみられるが、このとき は道幅も狭く、舗装もされていない。 ※お願い..お手持ちの尾道の絵葉書をぜひお知 らせ下さい。連絡先=尾道学研究会企画事務局 080−5612−9108。 図1、昭和3年頃の尾道駅前(天野安治氏蔵) 図2、昭和10年頃の尾道駅前(天野安治氏蔵) 図3、大正15〜昭和2年頃の尾道駅プラットホ ーム(久保三丁目・谷野照男氏蔵) 図4、大正13年頃の山波海岸の山陽本線と国道 (天野安治氏蔵) 図5、大正期の浄土寺下の山陽本線(久保三丁 目・谷野照男氏蔵) |