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2006年4月8日(土) 橋本邸に繋がる縁 尾道観光の『物語性』と『回遊性』を瀬戸田に 脚光浴びる堀内家邸宅 潮の干満が分かる庭池が瀬戸田にも!? |
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尾道から海路40分−。瀬戸内海の眺望が楽し めた先に、かって「西日光耕三寺」が一世風靡し た瀬戸田がある。週末は満開の桜と共に国宝向上 寺と耕三寺博物館が尾道市民との旧交を温めよう と待っている。来春、防地口の橋本邸庭園がリニ ューアルオープンされるのを機に、その回遊性の 一環として、この「瀬戸田界隈」がクローズアッ プされてくることになろう。 海路瀬戸田を訪れた旅人の目に一番に飛び込ん でくるのが、耕三寺参道の商店街の入口近くにあ る堀内邸。記者も例外ではなく、最近の「瀬戸田 詣」でいの一番に刮目し、支所長に就任したばか りの村上年久氏に簡単な調査を依頼していた。 3日、既報の辞令交付式の合い間に、20分ほ どあり、会場の第一委員会に近い「記者室」に時 間待ちの亀田市長、若住助役が揃って顔を見せ、 珍しい″三者雑談″の場を持ったが、意外にもそ の席でこういう話に最も遠い助役から「塩田」の 話が切り出された。 向島の浜旦那堀内家や、今のフレスタ(昔のフ ァニー)の浜を所有していた橋本家の話などから、 市長が「向島の堀内と瀬戸田の堀内は姻戚関係に あるのか」と次々と話が飛躍した。 すでに市長は記者に対して「瀬戸田の堀内家の 旧宅が利用できるのであれば、一般開放など協力 する意志がある」旨を洩らしており、行政中枢の 関心がこの方面に向いていることを紹介したつも り。 堀内邸は、町内では「尾道の橋本邸と同じよう に庭の池に海水が引き込まれ潮の干満が分かるよ うになっている」との説があり、記者から村上支 所長に調査を依頼していたが、同支所長によると 「最も海に近い耕三寺別邸の庭にその池があるの ではないか。ただ、荒れ果てているので現状の確 認は出来ていない」というのがこれまでの経過。 世界遺産推進課の文化財係でも、これらの動き をすでにキャッチしており、神田課長補佐は「所 有者は広島在住と聞いており、できるだけ早く庭 園の池も含めて現地調査を始めたい」と意欲をみ せている。 生活必需品であった塩の結びつきによって、当 地の豪商の付き合いは古く江戸時代からあったと みられており、その中心(県立古文書館の所蔵資 料15万点の10分の1が橋本家関係の一事でも分 かる)的存在であった橋本邸に光が当たることで、 観光・文化の回遊性が旧市街地だけでなく、瀬戸 田の堀内邸や耕三寺別邸まで拡がる可能性・期待 がふくらんできている。 これを裏付ける資料の1つに、橋本吉兵衛「海 鶴堂日記」があり、神田文化財係長の調べによる と、明治30年6月に貴族院議員に当選した橋本古 兵衛が堀内長右衛門らに当選の挨拶に行った記述 があるという。最後の橋本吉兵衛で竹下の孫、宗 利氏の祖父。 向上寺一帯は”ミニ尾道″ 1年で1番美しい『桜〜つつじ』 故大村はま先生ゆかりの幼稚園の名物桜を右手 に、正面に耕三寺博物館入口の満開のシダレ桜を 見ながら左折すると国宝の三重塔がある向上寺の 散策道がある。地蔵塔に道案内されながらの約350 mの登り坂が待ちうけるが、途中桜のトンネルを くぐり抜けながら、耕三寺全域と未来心の丘が遠 眺できる平山郁夫画伯の「写生地」の桜が目を引 く。 案内標からいったんはずれる先に「つつじの原 生林」があり(写真上から3枚目)、これから連 休にかけて日一日と見頃になってくる。 頂上から眼下に国宝の三重塔が海をバックに眼 前に広がり、ここから桟橋に向かって降る参道は すでに八分の桜が見事。向上寺への道は何本もあ り、どこから登っても桜が楽しめる散策コースに なっている。 禅宗仏通寺派で三重塔と庫裏があるが本堂はな い。明治期に国宝になり、法改正で昭和33年に 再び国宝に指定されているが、尾道三山と寺と市 街地、尾道水道を3分の1程度にコンパクトにし た原風景がこの向上寺周辺にあり(プラスして耕 三寺)、また知られざる桜の名所の一つでもある。 堀内家邸宅、しおまち商店街、向上寺一帯と耕 三寺の歴史・文化ゾーンは「尾道」と相通じる多 くのものを顕在・潜在の両面で持っており、観光 の一体感の醸成で『すぐにでも手がつけられる』 状況にあるといえるのではなかろうか。 |