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2006年3月18日(土) 古里大切に− 大林映画14本で大道具 撮影秘話 大田貞男さん吉和小で授業を |
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映画《転校生》以来、尾道で撮影される大林宣 彦監督(68)の全ての映画作品で「大道具」を担 当している新浜2丁目、大田建築事務所社長の大 田貞男さん(59)が15日午後、地元の市立吉和小 学校(亀川正臣校長)に招かれて、卒業前の6年 生児童(71人)に撮影のエピソードを披露、作り 手としての尾道への思いなどを話した。 [幾野伝] 亀川校長が「なぜ大林監督は尾道を舞台に映画 を作られるのか? 私も束京で教員試験に受かっ てましたが、生まれ育った尾道が大好きで、やっ ぱり尾道に帰って来て先生になりました。皆さん も古里を誇りに思う気持ちを持ってほしい」とあ いさつ。 大田さんは《転校生》《時をかける少女》《さ びしんぽう》の尾道3部作、新尾道3部作と呼ぱ れる《ふたり》《あした》《あの夏の日〜とんで ろじいちゃん》、その他にも《野ゆき山ゆき海べ ゆき》《おかしなふたり》など、これまで14本の 大林映画に携わってきた。 「映画を作ることは家を建てることと同じで、 家は設計図、映画は台本を読みながら作っていく。 その台本から、これはどんな雰囲気の場面なのか、 どんな物(大道具)が必要なのかを想像すること から始める」と大田さん。《野ゆき−》の時に、 主人公の住まいをイメージする、古い家を美術監 督の薩谷和夫さんと探し回った思い出を披露しな がら、「夕暮れになって、やっと思うような家が 見つかった時は本当に嬉しかった」と振り返った。 家族や恋人との突然の別れと、一夜だけの再会 を描いた《あした》を見て、若くして妻を亡くし た男性が尾道を訪れ、「もう一度妻に会えた気が する。涙が止まりません−」と記述してあった旅 行者用の「旅日記」をもとに、その男性と手紙の やりとりをした経験なども語り、映画制作だけで なく、作品が公開された後の尾道での多くの人と の出会いも大切にしていることを紹介。 「大林監督は18歳まで尾道で暮らして、その後 大学で東京に出た。2000本のCMを作り、そ の後劇場映画を手掛けるようになったが、外から 見て古里の尾道を恋しく思う気持ちで映画を作っ ているのだと思う。私も小さい頃から尾道に暮ら したいと思っていたら、父親の仕事でこの町に来 ました。いい町ですね。皆さんも尾道に生まれて 良かったと思える時が必ずきます」と話した。 最後に「映画に携わる者としては、撮影用に作 ったロケセットなどは、スクリーンの中でこそ生 きてくるのであって、本来はそのイメージを大切 にすべき。さらし者にはしてほしくない」と大和 ロケセットにも触れた。 終了後児童は、写真パネルや台本などを手にし ながら、「男の子と女の子が階段から落ちて入れ 替わったのはどこの神社ですか?」などと質問を 向けていた(=写真)。 |
転載責任者メモ:町を歩いていて「また来てるの。こっちに住んじゃえば?」と
笑いながら声を掛けられたこともある優しい大田さん。子供たち
も楽しい時間をもったはず。こういう"民間人"の話をきく機会を
子供たちに与えてくれる校長先生も素晴らしい。
大和ロケセットに対する考え方は映画人らしく大林監督と同じ
で、映画を作る人としてはそう見えて当然でしょう。
私個人にとっての大和ロケセットの価値は、ロケセットとしての
価値ではないのです。そんな物には価値はない。それは監督と
同意見で、私にとっての価値は実物大を体験できる施設としての
価値です。甲板の広さや砲の大きさなどを三次元で体験できた
だけで満足で、その上で係員の戦時中の大和の説明もよかったと
いうことで見学の価値があったと。
単なるロケセットであれば「舞台裏なんか見ないで映画の本編を
見なさい」と私も思いますし、もし市が大林監督のロケセットで
金儲けを考えたら「それは違うだろう」と私も反対するでしょう。
ただ再建した「6分の1呼子丸」はもう少し見に行きやすい
場所に置いて欲しいですね。これも単なる「ロケセット」では
なく、瀬戸内海で活躍した木造船の精密模型ですし、多くの
市民やファンからの募金で出来たものなので。
「《あした》の呼子丸」としてではなく、瀬戸内を駆け巡った
連絡船「だいふく」として歴史博物館か商業会議所記念館にでも
置けたら(大きくて無理?)と思いますが・・。見る人が見れば
「呼子丸」だということで。