2006年3月12日(日)
『実物大の模型』
<東京発・おのみち大好き人間>が語る
 「みんな見たかっただけ」
   「大和ロケセット見学記」 小野文人
 大林映画に魅せられ、尾道ファンが高じて10年
以上も前からサンニチの愛読者の1人になった東
京在の小野文人さん。今も休みがとれるとマイペ
ースでリピーターを楽しんでいる。尾道人よりも
深く尾道を洞察している彼の眼に映った『二つの
尾道』の一つを本日紹介する。

 寒さ真っ盛りのころ、「大和ロケセット」の見
学に行きました。平日の夕方ということで幸い並
ぶこともなく、入口周辺の方々に丁寧な案内をさ
れながらバスに乗り込みました。
 造船所の中をバスで進んでいくときに感じるワ
クワク感がまず良いです。これが造船所ではない
ただの山の中だったらと想像すると、この場所で
あったことの素晴らしさが際立って思えます。ク
レーンや工場が本物、その中をバスが海に向かっ
て進んでいくのですから。
 海を目の前にしたセットに到着。おお、甲板に
雪の固まりが・・。船体の前半分とはいえ、やは
り来てみないと分からない実物の大きさが迫って
きます。なにしろ世界最大級で、特に小型で高性
能なイージス艦が活動する現代では見ることが出
来ない 大きさです。
 対岸の千光寺山を"初めて見る角度"から見つつ、
クレーンと大和の写真など撮りながら見学してい
ると、案内の方が数人の見学者を集めて色々と話
をして下さいましたが、それが良かった。普通の
単なる"ロケセット"なら撮影エピソードや俳優さ
ん達の話などで終わるでしょうが、ここでは戦争
中の大和の話をして下さることで、この作り物の
船体が、戦争の悲劇の一端を実感できる施設にな
っているのです。「砲弾を運ぶ水兵が戦争末期で
は不慣れな若者ばかりになり、本来より大勢で運
ばなければならないなどという事情もあって乗組
員が増えていった」とか「低空で飛んでくるアメ
リカ機に対抗するこの急ごしらえの対空砲は、近
くで爆発が起きるとカバーを止めてある鋲が外れ
て飛び交い、それ自体が凶器になった」などとい
う話は、甲板で聞いたから「ここを砲弾を持って
運んだ人がいる」と実感できるのであって、教室
に集まって聞くのとは大違い。これだけで「来て
良かった」と思いましたし、おそらく多くの若い
見学者も、今後戦争の記録映像などを見るときに
この「体感」は生きてくるのではないかと思いま
した。
 実は私はこれを「ロケセット」として見に行っ
たのではありません。おそらく、少なくとも映画
公開前に行った数十万人の方は「撮影で使われた
から舞台裏を見よう」という通常の「ロケセット
見学」で行った人は少ないでしょう。そもそも普
通の映画だったら、映画の公開前に「ロケセット」
を見たくなるわけがありません。みんな「大和」
を知っていて、「大和」を見たかったのだと思う
のです。
 私にとって大和ロケセットは、「実物大の大和
の模型」です。模型にしてはあまりにも部分的で
すが、それでも甲板はあります。「作り物」「裏
側は骨組みだけ」であっても、最大であり最悪の
悲劇を背負った戦艦の甲板に立って広さを実感で
きるチャンスはもう一生無いかもしれない。だか
ら行ったし、充分実感でき、大和の話が出るたび
に、広い甲板を砲弾を持って運ぶ若い水兵さんの
ことを思うでしょう。多分このロケセットを見て
帰って「ケチを付けなかった人」は、多かれ少な
かれ大和を見る目が変わったでしょうし、ほんの
少しだけでも、亡くなった方々が身近になったか
もしれません。
 呉には10分の1の精密な模型もあり、実際に
大和を造ったドックも本物の資料もあります。そ
れも見る価値が充分にあるでしょう。しかし乗っ
てみて初めて分かる「体感」というのもがありま
す。国か市か何かがもっと精密に全体を再現して
自由に見学できれば理想かもしれませんが、どれ
だけお金がかかるか分かりません。撮影のために
造ったのを安上がりに見せてもらうチャンスを下
さったみなさんや、現場で毎日説明している方々
を有り難く思います。
 ということで、大和ロケセットを普通のレトロ
な町並みなどのロケセットと同次元で語るのは、
見学に行った私からすると「見に行く動機からし
て全然違うのだけどなあ」と思っている今日この
頃です。

ロケセット


転載責任者メモ:自分で書いて転載するのも恥ずかしいですが、(洞察してないし)
        載せていただいてここに載せないのも逆に変かなということで・・

        もちろんここに書いた理由とは違う理由で見学に行った方や
        違う感想を持った方が大勢いらっしゃることでしょう。
        これはあくまで私個人の体験記で、記事ではなく投稿文です。


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