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2006年2月19日(日) IT担当の副社長 ライブドア「尾道ポータルサイト」の継続を 「尾道から再出発したい」 尾道が頑張れば日本中の地方が元気に |
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時代の寵児が一夜明ければ稀代の極悪人にされ る「手の平を返す」、「軸がぶれる」軽薄な社会 に翻弄されているホリエモン騒動の中、本業部門 のポータルサイトを尾道から発信しているライブ ドアの担当副社長が17日夜、来尾して尾道の関 係者に対し「尾道ポータルサイトの継続と引き続 いての協力」を要請した。 ネットサービス事業本部の伊地知晋一副社長 (写真の左から2人目、左端が園田副社長)が尾 道事務所関係の2人を同行して出席。地元からは 尾道大の稲田全示教授、NPO法人プラットフォ ームおのみちの徳永修代表と加藤慈然さん、こも んの大谷治さんと山陽日日新聞社の秋田清が出席 した。 冒頭、伊地知副社長が世間をお騒がせし大変な 迷惑をかけていることを詫びた後、金融部門の不 祥事に対し本業のIT部門は(我々の出番が来た とぱかりに)今まで以上に張り切っていると同社 の雰囲気を語った。 また、堀江にとっても尾道ポータルサイトには 格別な思い入れがあるだろうし、この大逆風下に あっても皆さんの協力が頂けるのなら、これを継 続・発展していきたいと力強く語った。 いまの日本にあって最大の関心事であり、渦中 の人物の1人が来尾したとあって出席者から″質 問″が集中した。 堀江自身がパソコン・インターネットが大好き で、会社に居る時はいつもこれと向かい合ってい るため、席が(ITが本業の)自分の隣りに必ずな り、何か思いつくとその場で自分に相談したり、 提案するのが日常であったため、(常に隣りの席に 居たことで)検察にも度々、呼ぱれたと苦笑。 大手などのスポンサーが事件の影響で離れてい るが、ITのスタッフには動揺はない。むしろ今 がチャンスとも捉えていると思い切った戦略に打 って出る″秘策″などを明かしていた。 中央の状況が「どうなるのか?」が不明の中、 ライプドアという大きく傷ついた社名が今後どう なるのかという点が話題の中心になった。 稲田教授は、大学生達が市内を訪問していて 「今回の一件で、実に良い社会勉強をしているの ではないか」と話していたのが印象に残った。 本紙からは、尾道は日本の1千分の1から今は 合併で8百分の1の地方のモデル都市になった。 ポータルサイトによって、地方で頑張る人(店や 商品)が20、30から百に増えればそれで地域は 起きる。 尾道をモデルとして、それが全国に50、百と 拡がっていけば日本中の地方が元気になっていき、 はじめて日本という国が元気になっていく。ポー タルサイトによって元気を出し頑張る人が育って いくことで地域が起きてくる、一つのモデルケー スをつくっていこうと、昨夏の堀江社長との出会 い以来、一貫して述べている信念の一端を話した。 逆に元気づけられた伊地知副社長は、ライブド アにとって「尾道という地が生まれ変わる聖地に なれるよう改めて頑張りたい」と決意を語った。 当時の堀江社長に常に同行していた園田崇副社 長(メディア事業戦略室長)は昨年末で退社し、 会社を創業していることが分かった。 散会後、2月16日に予定されていた府中での 会合について「ああいうことに利用されるという か、これが一番良くないことだった」と伊地知副 社長に、すでに終わったことではあるが釘を刺し ておいた。 自民党の武部幹事長宛ての「メールの一件」に ついて、伊地知副社長は「報道を聴いて、観た (テレビを)瞬間に、これは堀江ではないと会社 の近い人間はみんなそう直感したのではないか。 みんなもそう言っていた。堀江はああいうやり方 をしないことを知っているからだ」とも注目の感 想を述べていた。 「今後も可能な限り尾道に来たいし、尾道を再 出発の地にしたい」と強い意欲を語っていた。 |