2006年2月17日(金)
TMO専門部会の提言が実を結び実現
 大切なものを1つずつ
  「福助の看板」や「いろは」の金庫など
福助足袋看板
古い金庫 金庫のダイヤル
 (続報)尾道市土堂本通りの旧尾道商工会議所の
建物が「尾道商業会議所記念館」としてリニュー
アルされ、3月4日(土)午前9時45分から現
地で、オープニングセレモニーが開かれる。
 一番の目玉は、2階に階段状の議場(昨報で一
部を写真紹介)が復元されたことで、この場所の
有効利用法の1つとして「週末映画館」(尾道に
映画館をつくる会)とか、「ふれあいセミナー」
(NPO法人尾道文化財研究所)などのイベント
をオープニングの企画として採用している。
 他に、尾道大学のセミナーハウスとしての利用
などが考えられる。
 この由緒ある階段状議場は林芙美子の″尾道凱
旋講演″の場にもなったのではないか?。
 また、亀田市長就任2年目の秋、ヨーロッパ視
察旅行でフランス・イタリアの旅に本紙記者も同
行したが、文化財のようなパリ市役所を訪問した
際、階段状の市議会議場に案内され「尾道の商工
会議所も昔はこうだった」と市長が懐かしげに話
していたことがある。
 1階展示(案内)室には、いくつかの目玉があ
る。まず1は、中浜通りにあった「福助の看板」。
これは、平野陽文さんを代表者とする「アント」
が所有者に替わって大切に保存してきた。1トン
近い重量があり、壁に架けたりすることが不可能
で、表面を強化ガラスで覆い、足(袴)をつけて
テーブル状にして、来館者が覗き込んで見れるよ
う工夫して展示されることに決まった。
 また、百年以上にわたって尾道経済界を見てき
た生き証人でもある商業会議所の金庫も展示され
ることになった。いつの時代に新しい金庫と替わ
ったのかさえ不明だが、長江口広場にあった旧尾
道消防署にこの金庫が移動。
 これを知った当時の会議所職員が、これまた平
野さんに事情を話し、長い間(近年はアントで)
保存していたもの。
 写真の通り、ダイヤルが「いろは..」になって
おり、製作者(会社名)も追跡調査したが判明し
なかったと市商工課では話している。
 このほか、本紙既報の平田公明堂の「万年筆一
式」も、尾道商業の歩みの中で、これまた歴史の
生き証人の1つとして展示されることになってい
る。
 セレモニーには、旧会議所の復元に大きな役割
を果たした会議所TMOの同部会が招かれるが、
福助の看板については全国に残っている4個とか
6個のうちの一つで、非常に価値あるものではな
いかと言われており、今回展示されることになっ
たため「福助の本社にもそのことを通知(連絡)し
たい」と商工課では話している。
 
 尾道商業会議所
 尾道商業会議所は、1892(明治25)年に全国
で30番目、県内では、広島に次いで設立され、当
時の尾道の経済力が偲ぱれます。尾道商業会議所
建物は、商業会議所設立30周年記念事業として19
23(大正12)年に建築され、白亜の鉄筋コンクリ
ートがその威容を放っていました。1928(昭
和3)年には、尾道商工会議所となり、1971
(昭和46)年まで使用されていました。現存する
鉄筋コンクリート造りの商業会議所建物としては
最も古いものです。
【本紙注=旧広島銀行尾道東支店の向かいにあっ
た「山陽日日新聞社」の建物も大正12年秋の完成】


好奇心でダイヤルの写真を拡大してみました。
古代文字を解析するような面白さですが、
やはり現地で見てみたいものです(転載責任者)
よく見えない拡大写真



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