2005年6月18日(土)
半田堅二さん
古文書と直訳、現代語訳で石州大森銀山と尾道展
 銀奉行の旅程、詳しく解説
  馬49頭で銀千貫を尾道まで運搬
展示の様子
 江戸時代、大森銀山から積み出し港尾道に銀が
どのように運ぱれてきたか、その経路を辿った
「石州大森銀山と尾道展」が土堂一丁目、尾道郵
便局ロビーで開かれている。30日まで。
 向島町津部田、同局第2集営業課、半田堅二
さん(54)が広島市、県立古文書館に通い、橋本家
古文書18枚をコピー、原文と直訳、古文になじみ
のない人には現代語訳も展示し、分かりやすく解
説している。
 江戸時代元禄年間(1688〜1704)10月、
銀奉行、後藤覚右衛門が尾道から大森銀山に向か
い、銀1000貫を馬49頭に積んで尾道に運び、
播州室津に向け出港した詳細な記述を訳している。
 陣屋笠岡屋(現アクセ)に宿泊した後藤銀奉行は
人足11人と馬9頭で尾道を発ち途中、吉舎、赤名
で宿泊、2泊3日で大森銀山に到着。
 灰吹銀753貫、丁銀235貫、計988貫と
約1000貫を馬49頭を使って32人が警護しなが
ら3泊4日で尾道まで運搬した。ちなみに灰吹銀
753貫(2・8トン)は現在の値打ちで30億円
相当だという。
 再び陣屋笠岡屋に宿泊、銀は蔵に入れ鍵をかけ
32人が周辺を寝ずの番、民家には行燈を出させて、
不審者が出入りしないように警戒体制を敷いた。
そうした警備のなか後藤銀奉行ら一行は旅の疲れ
を癒し、御膳がふるまわれ、一献かたむけていた。
 翌朝、4隻の船に銀を積み込み、播州室津に出
港した。
 「大森銀山の積み出しの細かい事柄はこれまで
尾道市史にも出てなく、興味を持ち、調べてみま
した。これからもテーマを絞り古文書を紐解いて
いきたい」(半田さん)と話していた。毎月1回、
県立古文書館を訪れ、尾道地方の文献をコピーし
て解読している。



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