2005年3月31日(木)
これ1つで世界遺産?
尾道の古代ロマンは『未来への遺産』にも
 稲田教授 岩屋巨石の謎に迫る
  「全て偶然」とどうして片づけられる
巨石の数々
 尾道三山の浄土寺、西国寺、千光寺がいずれも
対岸向島の岩屋山の方角に向いて設計(建築)され
ているという事実(仮説)から、世界でも希な古代
天文学と自然信仰の融合遺跡ではないかという、
壮大な尾道古代ロマンを力説している稲田全示尾
道大教授に引率された探検ツアーが27日の日曜
日にあり、中小企業家同友会尾道支部を中心に約
40人が岩屋山の謎を体感した。
 工房おのみち帆布前に集合、フェリーで向島に
渡り、東西橋下流沿いに南進すると、橋の左手に
岩星山が見えてくる。ユーホーを過ぎた地点で、
左手に岩星山が真っ二つに割れているのがよく見
える。
 二番潟交差点手前の砂田店前から、大橋取り付
け道路に沿って登坂すると彦ノ上二区公民館を過
ぎた辺りから頭上に岩屋山が顔を出す。
 取り付け道路から岩屋山への登山道を登ると、
約3分で目的地に着く。意外と近い。眼下の西提
寺と参道を結ぶ一直線の方角に岩屋山があり、
「岩屋寺」の石碑も残っている。
 年に1回、岩屋山の秋祭りが現在も行われ、向
島町内の寺が臨番で世話系をつとめていると、そ
のシンボル性を稲田教授が説く。
 稲田教授の「岩星山仮説」が、氏が″ねつ造″
しているものではないという事実が、現場に立つ
と肌に伝わってくる。
 古代からの信仰の場であった証しが、5つの巨
岩とその周辺に今も歴史の証人として散在、現存
している。
 稲田教授は、5つの巨石から成るこの岩屋が
「自然物ではなく、人造的に造られたもの」であ
ると力説している。
 その論拠を簡単に紹介すると、1.5つの岩が3
層になっており、人工的に割られた形跡が顕著▽
2.その割られ方が自然界では1つも有り得ない▽
3.その人工面(割られた部分)が東へ向いて60度、
西に向かって240度で、東北東60度は尾道地方
で夏至(げし)の朝日が昇る方位。西南西240度
は冬至(とうじ)の太陽が沈む方位▽4.岩星山薬師
如来の小さな祠は、岩屋を背に東南東120度の
方位にあり(いずれも設計)、この角度は尾道地方
の冬至の朝日の昇る方角である。
 結論(現段階)として「第1から第4までの論
拠、形状、形体からほぽ人間(古代人)が加工した
巨岩であることは間違いない。では何故このよう
な巨岩がここ尾道に創造されたのか。ここからが
尾道古代ロマンの第一歩ではなかろうか』と、こ
れ1つが世界遺産に匹敵する『岩屋巨岩に込めら
れた未来への遺産』であると位置づけている。
 既報の通り、千光寺から眺めた冬至の朝日が岩
屋山から昇る景観。岩屋山のご神体の岩屋巨岩の
祠正面から昇る冬至の朝日の都市景観の二重構造
は、天文学を応用した太陽神に対する畏敬の念の
古代シンボルそのものであり、それが尾道の仏教
文化と融合し、今日まで残っている世界でも稀な、
古代日本独自の天文台とまで言えるのではなかろ
うかと言っている。
 尾道の歴史は高野山文書の1168年にスター
トした訳でもなんでもない。
 稲田説を正視することは、これまでの尾道の歴
史を否定するわけでもなんでもないが、まず1度
「岩屋山」を体感してはどうだろうか?。

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