山陽日日新聞ロゴ 2004年5月28日(金)
「旧本陣」の由来
「古寺めぐり」に「墓」をセットしては...(1)
 正授院に眠る五輪墓
  尾道人に今も生き続ける「道海さん」
燈籠のような形の墓石
 尾道観光協会の総会挨拶で、「古寺めぐり」に「お墓」
をセットしたらどうか?と提案した亀田市長は、その一
事例として長江口の正授院に残る「小川家」の墓を紹介
した。金座街が「尾道通り・旧本陣」とオープンを機に
改称したが、この旧本陣と小川家は同一であり、この由
来の説明や小川家墓所等の顕彰なくしては、文化行政の
整合性を著しく欠くことにもなってくる。 27日午前
中、正授院の墓地北側にある小川家の五輪墓を10年ぶり
ぐらいに写真撮影のため訪れた。
 「小川氏」という墓の手前にある表示がないと全く何
んの判別も出来ないほど″風化″しているが、この墓の
近くの先祖墓にたまたまお詣りをされていた老婦人から
「ドーカイ(道海)さんのお墓ですか?」と声を掛けら
れ、尾道人の心の中には「未だ生きている」ことを身を
以って教えられ少なからぬ感動を覚えた。
 「旧本陣」は、桃山〜江戸時代にかけての尾道三大豪
商の渋谷、葛西と並び称された笠岡屋小川家の本陣があ
ったところ(跡)という意味であり、小倉内科・家守商
店がある「小川町」の旧町名の由来はここにある。
 本紙では、昭和43年の明治百年の年に、創刊70周年
を記念して「心のふるさとシリーズ」を連載し、その第
五集で後藤洋二記者(当時)執筆の冊子「郷土の石ぶみ」
を出版し、当時の読者に無料で配布している。
 今から32年前の昭和47年、後藤記者は「小川家」
の項の結びで「..せっかくの文化遺産をこのまま朽ちさ
せるよりは、累代墓と納経立石を一か所にまとめ市の史
跡にしては、との声もある」と控えめながらも警鐘を発
していた。
 以下、「郷土の石ぶみ」の62〜63頁に掲載されている
小川家関連の記述を原文のまま再掲載する。

 小川家納経立石と墓
◎..長江口山陽線ガードをくぐると知恵院派浄土宗、正
授院のコンクリート塀が続き、このなかに渋谷、葛西と
ともに桃山から江戸時代にかけての尾道三大豪商のひと
りと言われる笠岡屋小川家先祖の墓と納経供養石塔があ
る。
◎..寺の正面石段をのぽると、右手に法界地蔵を頂点に
ピラミッド型に積み上げられた無縁仏塚がそびえ、その
北側の鐘楼のかげに笠岡屋の祖小川道海が六十六部にな
って廻国した記念碑とも言える納経立石ふたつがたてる。
◎..道海は壱岐守と称し弘治・永禄の頃(1555〜1570)
毛利元就に仕え、尾道にきて郡代の職をつとめ、のちに
毛利家が美濃国大垣に出陣した時には、壱岐守も150人
をつれてこれに従い、このとき壱岐の守の乗馬が名馬で
あったことから輝元に所望され、これを献上したという
逸話ものこっている。
◎..小川家はもと五畿内の武家で、尾道に住み本陣は千
光寺山下の旧十四日本通りに面し、少し遅れるが寛永の
備後国御調郡尾道町屋敷御詰帳によると、その地所は旧
長江口南側に位置し、面積は1488.4平方メートル(約450
坪)におよび、本宅は薬師堂にあり、のちに屋敷の一部
を切りはらい私費で造った道路が今も小川小路の名での
こっている。
◎..壱岐の守は仏心深く天正年間(1573〜1592)に六十
六部となって諸国の霊場を巡拝したが、当時は戦乱の最
中にあって自分の足と馬カゴ程度しか頼れなかった交通
事情とあわせ、かなりの難苦行であったであろうが、こ
れを2度も成就させ、供養塔をたてたもので、もと旧長
江八丁目にあったものを明治6年道海ゆかりの同寺に移
しかえた。天正16年と慶長2年(1597)の年号が刻ま
れ、向かって右手が高さ2.65メートル、左手が2.4メート
ルで塔上部に彫りこまれた大日如来像は稚拙ではあるが、
瞑目しているものの気品あふれる尊顔には精魂をかたむ
けた石工の気概がうかがわれる。
◎..この裏側に寛延2年(1749)小川家九代孫正治の代、
当時の名工石仏師地蔵屋勘兵衛の手になり刻まれた六地
蔵が原形のまま維持され、納経立石と対象的に巧緻にた
けている。

 市内最古の五輪墓
◎..市内で現認された墓のなかでもっとも古いものとい
われる天正13年にたてられた壱岐守夫妻の墓は陽射を
まともにうける墓所北側ほぽ中央部分あり、その何代目
かの当主で明治39年9月に没くなられた小川又三郎
(天保2年生れ)=西山旅館裏=で家督がたえ、小蝶が
戯むれる高さ95糎と86糎の一石五輪墓に詣でる人も
なく、せっかくの文化遺産をこのまま朽ちさせるよりは
累代墓と納経立石を一か所にまとめ市の史跡にしてはと
の声もある。

転載責任者メモ:「観光資源」と言ってしまうと語弊がありますが、
        尾道の墓地には有名な方以外でも変わった形の墓が
        見られ、生前の趣味がうかがわれたりして面白いもの
        です。それに対応できる石工がいたということですね。
        墓地に入らなくても見えるものも多いのでお見逃し無く。


ニュース・メニューへ戻る