2003年7月11日(金) 『東京物語』 1953年当時の本紙記事から(3) 8月半ば いよいよロケ始まる この時既に観光効果に期待の声も |
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映画『東京物語』の尾道ロケが決定し、当時の尾道の町は相当 な期待感に満ちて、撮影前から盛り上がっていたことが分かる。 監督はすでに国内で高く評価されていた小津安二郎、出演者も原 節子ら銀幕全盛期を彩る俳優陣とあって、市民の間でも日を追っ て話題が高まっていったことも理解できる。そして、映画ロケを 観光効果に結び付けようとする考えは、今と変わらず当時から存 在していたことには驚かされる。 読者からの寄稿文を載せた「自由欄」には次のような提言が寄 せられ、続いて8月中旬にはいよいよロケが始まった。 7月10日(金)付け2面−−− [見出し】自由欄「東京物語」に協力SS生 [本文] キネマ旬報夏季特別号に載っていたシナリオ「東京物語」を読 んで見た。華やかな場面は殆んど無く、始めから終り迄シンミリ とした物語であるが、文藝映画として大いに期待が持てそうであ る。 尾道の場面は約三分の一、美しい尾道の風景も相当盛り込まれ ている。市当事者は積極的にタイアップして観光尾道を全国に紹 介してもらいたい。近くの例では、松山市が「てんやわんや」で 郷土色豊かな祭礼の余興を繰り出して、効果をあげているのは御 存じの通り。 シナリオには対話だけで場面は出ていないが、なつかしい思い 出として住吉祭があげられている。幸い封切予定日迄には間に合 うので、来る旧暦六月二十八日、住吉祭当日には実況をクランク してほしい所で、中英之助さん、あなたも昔とったキネヅカでー 役かって出ては如何か。 8月14日(金)1面付け−−− [見出し】「東京物語」ロケ開始15日未明から [本文」 十二日午後一時四十五分、尾道着の列車で来尾した秋の銀幕を 飾る松竹特作映画「東京物語」のロケ隊幹部、小津監督、野田シ ナリオライター、山本プロデューサー他四名は直ちに宿舎竹村家 にはいったが、俳優陣は二日遅れてスター原節子を初めとする三 十余名がきょう来着。撮影開始は十五日未明から行われ、海岸通 りの魚市場附近や、夜明けの実景などがフヰルムに収められ、主 として演技を要する部分は浄土寺境内を中心として撮影される。 なお映画ファンの方々にお願いがあると前置きして、山本プロ デューサーはつぎのようにのべた。 「御承知のように小津監督はキメの細かい良心的な監督で、ロ ケ中に気分の散るのを大変嫌うたちで、特に原節子君は先日、東 宝映画「白魚」撮影中、実兄の相田カメラマンが進行してきた列 車に触れて即死するという椿事に遭遇しており、非常に精神的な 打撃をうけているので、撮影中多数のファンが押しかけて喧騒に わたることのないようプロデューサーの私の立場からファンの皆 さんにくれぐれもお願いする次第である」。 (=写真は、ロケハン時から小津監督の定宿となり、作品内容 に深く関与、撮影にも使われた竹村家の二階大広間のようす。現 在も当時と全く変わていない)。 |