山陽日日新聞ロゴ 2001年4月15日(日)
一縷の望み
 明治初年創業、尾道渡船に次ぐ老舗航路
 桟橋を残し受け皿探し
  尾道水道西端、有井渡船来月廃止  
廃止される渡船
 玉里渡船が経営する尾道水道西端、有井と新浜を結ぶ「有井渡船」
が5月1日で廃止の申請をおこなっていたが12日、中国運輸局か
ら、認可された。お年寄りの通院、会社員通勤など航路の存続の声
もあがっており、尾道市、向島町の行政当局は何とか継続するため
受け皿を探っているが今のところ引き受け手はないという。
 有井渡船が開業したのは明治初年、江戸時代文化期に創業した兼
吉渡船(現尾道渡船)に次ぎ歴史が古く、人力の手漕ぎ船から昭和
に入ると動力船に替わった。戦前は新浜に青果卸売り市場があり野
菜の生産者らをピストン輸送、戦後は有井の興進産業が解体業をし
ていた頃、多くの従業員を抱え、また向島造機、山陽造船など造船
マンの海路の足となり渡し船は重宝がられた。
 港内渡船に打撃を与えたのは昭和43年に開通した尾道大橋。車
はほとんどが尾道大橋に逃げ、以後じり貧、第2尾道大橋もこれに
拍車をかけた。
 有井渡船は経営者が代々かわり、戦後だけでも3人の手に移った。
現在の経営者は玉里氏で昭和51年から親族から事業を譲り受けた。
50年代はまだ1日400人程度の乗船客があったが今では100
人をきり、赤字航路。定員30人と乗用車3台が搭乗するフェリー
が朝7時から昼零時20分と夕方4時から6時30分の間、25往
復、正月や盆は休みで極力抑えた運航をしてきた。おもな利用者は
農協病院など通院のお年寄りや新浜、吉和方面の通勤者。
 「便数を減らし燃料費や人件費を切りつめてやってきましたが、
もう限界です」(玉里社長)と廃止に踏み切った。
 尾道大橋の場合は一切保証は出なかったが、一昨年5月完成した
第2尾道大橋は開通後2年以内に航路を廃止すれば本四特別措置法
にのっとり船員の退職金、不要になる船舶、桟橋など補償の対象に
なり、特措法期限ぎりぎりの5月1日をもって廃止することに決め
た。一昨年5月には玉里渡船が経営していた向東町彦ノ上と尾崎本
町を結ぶ「浄土寺渡し」も廃業している。
 地域住民から有井渡船の航路存続の声を耳にしている行政は他の
港内渡船業者に引き継ぐ打診をおこなったが色良い返事はなく、ま
た町内や福山市から問い合わせはあるものの、それで立ち消え。航
路存続は難しい局面を迎えている。
 「あれでも引き継ぐ業者が出てくるかも知れないので桟橋につい
ては2〜3ヶ月撤去をのばすよう、玉里社長に申しいれています」
(総務課長)と一縷の望みを託している。
 港内渡船に関していえば、あと10年後には生活橋尾道大橋が無
料解放、橋と渡船が共存共栄していくには、どうしたら良いか今か
ら、その対策を検討していかなければ尾道水道の名物、渡し船は袋
小路に追い込まれていくだろう。
[写真は来月1日で廃止される有井渡船]。


 

ニュース・メニューへ戻る