山陽日日新聞ロゴ 2001年1月16日(火)
今夏6月
 林芙美子没後50年に
  5市文学交流の中で尾道市独自に
林芙美子写真
 尾道を第2の故郷としている作家の林芙美子がなくなって今年6
月、没後50年を迎える。志賀文学との文学的な評価は別にして、
尾道と文学といえば誰でも1番に思い浮かべるのが林芙美子、放浪
記。尾道市文化振興課では、百周年文学フェアの取り組みを「静」
とすれば、没後50周年は「動」的な取り組みをしたいと意欲の一
端を語っている。
 林芙美子年譜によると、明治36(1903)年12月31日に門司市大字
小森江555番地で、父宮田麻太郎、母林キクの子として出生。8
歳の時に母キク、養父澤井喜三郎と下関に移る。
 11歳の時、澤井の古着屋が倒産。一時、鹿児島の祖母(キクの
実家)に預けられる。
 大正5(1916)年、13の早春、尾道市に移住。第2尾道尋常小学
校(土堂小)の5年生に編入。2年後、尾道市立高等女学校(東高
校)へ入学。土堂小では小林正雄、県女では今井篤三郎の庇護、指
導を受ける。
 昭和元(1926)年、東京・本郷で画学生林緑敏と同棲。2年後、
「女人芸術」に「放浪記」を連載。昭和5年7月、改造社より「放
浪記」を刊行、ベストセラーになる。
 昭和16(1941)年8月、下落合に新居を建てる。2年後の5月、
南方の従軍より帰国。同12月、泰を養子に迎える。
 昭和19(1944)年4月、母と泰と共に長野県上林温泉に疎開。同
8月、近くの角間温泉へ移り終戦を迎える。
 昭和26(1951)年6月27日、「主婦之友」連載の「名物たべあ
るき」のため、銀座の「いわしや」に、さらに深川の「みやがわ」
に行き、会食して帰宅。午後11時過ぎに就寝後、苦悶。翌28日
午前1時ごろ心臓麻痺のため死去。48歳。
 7月1日自宅で告別式。8月15日、中野区上高田、万昌院功運
寺に納骨。戒名「純徳院美蓉清美大姉」。墓碑銘は川端康成の筆。
 昭和32(1957)年、7回忌に東高校の校門内に林芙美子文学記念
碑を建立。題字は川端康成。39年、うずしお小路に遺跡碑建立。
 昭和40年、「文学のこみち」で「放浪記」の一節が自然石に刻
まれる。59年、尾道市商店街連合会が東御所町商店街入口に林芙
美子ブロンズ像を建立。
 昭和61年4月、志賀直哉旧居(三軒長屋)を市が買い取り、1
室に林芙美子書斎を設け、文学記念室とする。6月、芙美子命日に
尾道市が文学記念公園で第1回「放浪忌」を開く。平成11年3月、
文学記念室を旧福井邸に移し、芙美子を中心とした模様替えをして
志賀直哉旧居と分離する。
 出版物としては、尾道と林芙美子刊行委員会編「尾道と林芙美子」
尾道読書会発行(1974.5.20) ▽尾道読書会。林芙美子研究会編
「尾道と林芙美子・アルバム」同会発行(1984.8.1) ▽尾道市立
図書館編「尾道の林芙美子−今ひとつの視点」同館発行(1994.6.17)
などがある。

転載責任者メモ:紹介されている出版物は浄土寺近くの市立図書館に行けば
        おそらく全て揃っているかと..。

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