2001年1月1日(月) 21世紀に残そう 向島・御調の風景 |
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▲ 夕陽が似合う大鳥居 景色は季節や時間によって美しい瞬間を見せる。向島の西の端、白 砂が続く岩子島海水浴場に映える赤い大鳥居、山あいに沈む夕陽の照 り返しで沖合いの灯篭、向かい合わせの狛犬、それに大鳥居がさざ波 の音を聞きながら美しいシルエットを浮かび上がらせ、厳粛な時が流 れる。 背後の厳島神社は安芸の宮島に次ぐ古社。管弦祭も復活され、夕陽 の似合う舞台装置は地元民により磨きがかけられている。 |
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航跡を描き続ける港内渡船 ▲ 最短200m、運河を思わせる狭い海峡を行き交う渡し船。島と本 土に尾道大橋、新尾道大橋と2本の橋が架かった今日でもフェリーが 3分間隔で島民をピストン輸送している。渡船の歴史は古く、18世紀 初め、江戸時代文化期ごろで、兼吉渡しが営業をはじめた。 志賀直哉の名作『暗夜行路』で「或る長閑(のどか)な日の午後だ った。彼は向い島の塩田を全体見るつもりで、その方へぶらぶら歩い ていった」の一節で主人公、謙作が乗ったのが兼吉渡しだった。 架橋のたびに航路の存続か廃止か論議されてきたが島の東から西ま で6渡船が健在。手漕船からフェリーと姿を変え200年近くが経過、 尾道水道の風物詩として欠かせない生活渡船は連綿と航跡を描き続け ていくだろう。 |
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▲ 空爆から守ったレンガの建物 尾道向島地方を空爆から守ったのが第二次世界大戦、捕虜となった 英国空軍100人が収容されていた兼吉、レンガ造りの向島紡績。捕 虜収容所に赤十字のマークがつけられ、米英軍は爆弾投下を控えた。 そのかわりと言っては何だが、終戦の翌日、何十個ものドラム缶にパ ラシュートをつけ救援物資を投げ落とし、民家の屋根を直撃、被害を 受けたという。 建物は大正7年(1918)、帆布工場が英国製レンガを積み重ね建設。 戦時中は捕虜収容所、戦後は向島紡績工場として使われているが、何 1つ手は加えられず、建設当時のまま。券の産業史跡指定に向け、こ のほど調査がおこなわれた。 |
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▲ オレンジ色のカーテン もともと柿の木が多かった御調町菅野は、全国に誇る串柿の生産地。 400年近い歴史をもち、晩秋になると約60戸の農家が干柿づくり に精を出している。庭先には「オレンジ色のカーテン」が下がり、夕 日をうける風景は特に美しく、同町を代表する風物詩。今も全国シェ アの2割を保つが、生活文化の変容で正月のしめ飾りが消えつつあり、 需要も減っている。さらに担い手の高齢化が追い討ちをかけ、生産量 は徐々に減少している。 |