2006.4 東広島の大成さんが山陽日日新聞の2002年の記事をネット検索でご覧になり、
    送ってきて下さった古い絵はがきの画像です。風光明媚な観光地の紹介という
    より、記録写真のような要素がある貴重な写真。
    大成さんのご協力に感謝いたします。

尾道の対岸、向島(むかいしま)の
尾道側に独立してあった頃の小歌島
(おかじま)。
今はこの左側が埋め立てられて向島
と一体化、手前の海も現在はもっと
狭く駅前渡船がやっと入っていく水
路に。尾道駅を降りると目の前に見
える小さな緑の山(その中に灯台が
建っている)がこれです。
現在写真の右方向の対岸に尾道(駅
前)、この島の右端あたりに福本渡
船の向島側桟橋があって、見えてい
る建物のあたりにホテルおか島があ
るという恰好でしょうか。
古くは確かこのまわり(向島にも)
に塩田があったはずです。

ここをクリックすると出てくる地図
の中心あたりから、左方向を撮った
ものと思われます>

下はこの島を尾道側から見たところ。
土本嘉美著「ふるさと いまむかし」
より(転載禁止)
これは本当に絵はがきというより記
録写真という感じですが、あとに出
てくる写真と同様、汽車が写ってい
るので、山陽本線そのものが題材だ
ったのでしょうか。
尾道駅には今でもこの頃の古い支柱
が残っていると読んだことがありま
す。
カーブの方向から見て、三原側を見
ているようです。この先に結構広い
引き込み線などがあったはず。写真
の年代が分かりませんが、ここから
左の方の海に向かって短い貨物路線
があり、貨物船と荷物の積み替えが
出来ていたそうです。今でも線路の
あとが自転車置き場になって残って
います。
またここが終点だったころは、ここ
で機関車の転回が出来るような線路
もあったとか。
比較的新しい話としては、ここから
右の北に向かって尾道鐵道という民
間の路線もありました。今でも北の
方に行くとトンネルなどの廃線あと
が見られます。
参考資料:入船裕二著「尾道今昔」
 
手前が尾道です。向こうが松永湾、
そして沼隈半島が見えているようで
す。
この先海岸から左にカーブして北へ
という感じですから、現在の尾道大
橋より東のこの周辺でしょうか


海辺を走っていますが、現在はこの
海側に国道2号線が走り、その更に
海側に家が1列並んでいて、護岸は
その先。尾道水道は埋め立てで狭く
なり、昔より流れが速くなったとい
う話も聞いたことがありますが、確
かに景色が違いますね。
尾道東濱貨物集散所とあります。
山の中腹に寺の塔の頭のようなもの
が見えていますが場所の特定が難し
い。千光寺山?天寧寺の三重塔?か
も。
とすると海運基地だった住吉浜あた
りの写真で、倉庫が並んでいること
と符合します。今なら住吉神社の西
の中央桟橋あたりと思いますが、い
かがでしょう。今撮ると塔の右上に
ロープウェイが写るか。

この構図、以前にも見たことがあり
ますが、微妙に違いますね。(こち
らの方が少し海寄りで遠い)
浄土寺を東から見ていて、撮影スポ
ットだったのでしょう。
もう1枚の絵はがき

このあたりから左を写した感じ

対岸の向島から住吉浜あたりを見て
います。左が千光寺山。右が西國寺
の山。その間を長江通り(出雲街道)
が北へ向かっていて、日本海側に。

北からの道が住吉浜から海の道を四
国へと。これが南北の道。
そして東西には山陽道と海の道も。
ということで、尾道を称して「瀬戸
内の十字路」という呼び方がありま
す。新幹線やしまなみ海道が出来た
今、やはり東西南北が交わっている
ということに変わりはないですね。

大元神社のある岩屋山から撮ったの
かなと思いますが、いかがでしょう。


これらの写真を持って現場に行ってみるというのも面白いかもしれませんね。