山陽日日新聞社ロゴ 2012年9月14日(金)
戦時下の記憶を語る遺品
 旧日本陸軍の無線受信機
  呉・大和ミュージアム学芸員も驚嘆
無線機と電源
 見るからに特殊な機器、どうも戦時中に使われ
ていた無線受信機のよう..市道拡張記念古地図を
掘り出した長江回廊組の日下廣さん宅から、また
またの発掘の報。
 得体の知れぬその機器は全部で1点、一つには
【ム62二型改受信機】、今一つには【ム62二型改
整流器】とあり、これに小型の機器(発電機)及
び受話器が付属する。
 機器名のプレートに見える、見覚えのある井桁
のマークは、まさしく住友のマーク。
 住友グループの会社が製造した、戦前に遡る受
信機であることが判明するが、その用途は全くも
って不明。
 日下さんは、井桁のマーク=住友製を手掛かり
に、各種の資料を当たってみるも、これがなかな
か該当するものに行き当たらない。諦めず更に検
索を続け、そうして最後に行き着いたのが国立国
会図書館で、こちらのデジタルーアーカイブ化さ
れた文献資料の内にそれはあった。
 日下さんが推察した通り、旧日本軍が使用した
受信機で、製造は「住友通信工業」によるもので
あった。
 住友通信工業の名は聞き慣れないものであるが、
これについて日下さんの調査によると、NECこ
と日本電機と米国のウェスタン・エレクトリック
社との合弁会社(日本で最初の合弁企業)に源を
発し、住友財閥への経営委託を経て、第二次大戦
の勃発と同時に完全住友グループの傘下になった。
住友通信工業の名は、戦争末期の昭和18年2月か
ら20年11月までの間にのみ存在したようで、戦争
中は、陸軍の無線機類を一手に引き受けていたと
の事。
 資料は住友側資料には確認されず、日本電機側
の社史などから紐解かれたという(付属の受話器
に日本電機の名を刻む)。
 旧日本軍の無線機..歴史(戦時)資料としての
値打ちは果たしてどうなのか?。ここは専門の機
関へ照会しようと、戦時資料を取り扱う呉市の大
和ミュージアムへ日下さんが問い合わせたところ、
部品欠損等のない完全な形を留め、尚且つ電源が
入る..という状態を確認した同ミュージアムの学
芸員は、恐らくこれだけの保存状態で残っている
品は他に例が無いはずと驚嘆の声を上げていたと
の事。
 大半は真空管が取り外されていたり、外側だけ
形を留める程度などというものが多い中、完形品
でしかも電源が入るまでの品となると、かなりの
希少性になるという。当然、同ミュージアムの収
蔵品中にも存在しない。
 電源が入るといっても何かしらの電波を受信す
るのは不可能で(昔と現代とでは周波数が異なる)
ジージーというノイズが受話器を通して聞こえる
という。
 型番を調べてみたところ、岡山で製造されたも
のであることが判明。同製造所はその後、空襲に
よって全滅している。
 因みに、硫黄島での日本政府による遺骨収集作
業中、発信所であった地下壕の中から、同様な無
線機が発見されたと先月のニュースで報じられて
いた。
 機器の全貌がはっきりした後は、何故日下さん
方にこういったものが遺されていたのかに疑問が
湧いてくる。
 日下さんも同様な疑問を持たれていたが、これ
は想像するところですが..として、父・日下光国
さんが復員兵から譲り受けた品ではないかという。
 在郷軍人であった光国さんは、終戦後は復員兵
の世話で忙しく駆けずり回っていたとの事で、復
員兵がこういう品々を持ち帰る事例は確かにあっ
たそうだ。
 また、「特殊な機械」でラジオ?を聴いていた
光国さんの姿を見かけたとの、近所の長老さんか
らの証言もあるそうで、流れ着いた経緯はともか
く、時代的に見ても、日下さんの父・光国さんが
所持していたものには違いなさそうだ。
 戦時中の回覧資料(史料)が見つかった日下さ
ん方から、また一つ貴重・希少な戦時下の記憶を
語る遺品が、ここに発掘されるに至った。
                 [林 良司]



ニュース・メニューへ戻る