2012年8月19日(日) 戦時下でも創作意欲 尾道東高校に寄贈した前半部分1枚を確認 半世紀振りに手紙が再会 林芙美子から川端康成への書簡 |
||
来年、生誕110年を迎える尾道ゆかりの作家、 林芙美子(明治36年〜昭和26年)が戦時中に疎開 していた信州の温泉から親しかったノーベル賞作 家、川端康成に宛てた2枚綴りの手紙のうち、所 在が分からなかった前半の1枚が確認された。後 半の1枚は母校、尾道束高校が夫、緑敏さんから 寄贈されており、これで別れ別れになっていた手 紙が50年振りに再会した。尾道市は18日から9月 2日まで束土堂町、文学記念室で2枚を並べて初 公開する。 17日、市役所で定例記者会見がおこなわれ、平 谷祐宏市長、2枚の手紙が同じものだと確認作業 にあたった久保卓哉福山大学名誉教授、それに川 崎浩志尾道東高校教頭、木原康孝同校同窓会長も 同席し、林芙美子の川端康成宛の手紙について説 明した。 半世紀振りに合体した手紙は戦時中の昭和20年 1月6日、疎開先の信州角間温泉から鎌倉に住む 川端康成に出した書簡で次の通り。 ◆川端康成とは家族ぐるみの付き合い◆ 確認された前半の1枚は=写真上=「三尺も雪 に埋もれて郵便やさんもめったに来ない村になり ました 硯の水も凍ります 片岡さんのおなくな りになりました事淋しくおもひます こんな事で 年月がすぎてゆくのは淋しいです いまは村もひ っそりと落ちつき、毎日しんしんとそこ気味悪く 降る雪をながめております 創元社からお手紙い たゞきお返事もいたしませんで失禮しております 一生懸命いゝものを書いてさしあげたいとぞん じます よろしくおっしやってくださいませ」。 疎開先での佗びしさや淋しさを垣間見ることが 出来るし、旺盛な創作意欲も感じられる。 尾道東高校所有の後半の1枚は=写真下=「全 く雪深くなりました 一度お出掛けになりません か。リンゴも沢山求めてあります それと温泉だ けが幸福です東京の日常も案じられますがどうに も仕方がございません 四五日前の夜空、雪の山 にこだまするような音をして 敵機が通ってゆき ました 川端康成様 林芙美子 そのうち リンゴ また送ります」 至福の温泉と裏腹に戦争の足音がひなびた温泉 にも近づいていることを述べている。 芙美子と川端、それに前年亡くなった片岡鐵兵 は家族ぐるみの付き合いで仲がよかった。芙美子 と川端との書簡はかなりの数にのぼるという。 ◆川端が芙美子の追悼文を「文学界」に寄稿◆ この信州角間温泉からの手紙は昭和26年6月28 日、林芙美子が死去し、その葬儀委員長をつとめ た川端康成がその年の8月、雑誌「文学界」に 『林芙美子さんの手紙』の追悼文のなかで1枚目 の「三尺も雪に埋もれて…」、2枚目の「敵機が 通ってゆきました」を引用し、当時から一通の手 紙であったことは判ってはいた。 久保名誉教授によると手紙は追悼文を書いたの ち、川端が遺族が持っていた方が良いと判断で夫 の緑敏氏に寄贈した。 ◆一通の手紙が何故、ばらばらに?◆ ここからが謎だが、緑敏氏は昭和37年、芙美子 の母校、尾道東高校に封筒と和紙に書かれた手紙 の後半の1枚を寄贈した。前半の1枚は緑敏氏が 所有したままで、平成元年7月、緑敏氏死後は芙 美子の姪、林福江さん(86)が引き継いだ。 何故、一通の手紙をばらばらにしたのかについ て久保名誉教授は「川端が追悼文で引用したくら い価値のある手紙で、緑敏さんは芙美子の形見と して残して置きたかったのではないか。それと母 校にも素晴らしいプレゼントをしたかったのでは ないか」と推測する。そうだとしても一通の手紙 を引き裂くことはないだろうにとの謎や疑問は今 なお残る。 1枚目の手紙は今年4月から6月まで志賀高原 ロマン美術館で開かれた林芙美子企画展に福江さ んが出品し、信濃毎日新聞も尾道東高校に寄贈さ れた手紙と同一のものだと報道した。 その確認作業にあたった久保教授は前述した川 端の追悼文に加え、2枚の和紙の大きさや折り目 がぴったり一致し、芙美子の筆の運びや勢い、さ らに墨の濃淡も2枚とも同じで間違いないとの判 断を下した。 ` ◆手紙はまとめて尾道で保管を◆ 東京新宿から福江さんは「これまで大事にしま っていたものが、尾道にさし上げた叔母の手紙と 関係があると知り、驚きました。やはり尾道には 特別な思いがあったのでしょう。昭和32年の尾道 東高校での芙美子除幕式には叔父と泰ちゃんとい きましたが…(中略)50年前(昭和37年)に離れ 離れになった手紙が、揃っていち早く尾道で公開 されることを叔母も叔父も、喜んでいることでし ょう。ぜひ尾道のみなさんにご覧になっていただ きたい」とコメントを寄せていた。 平谷祐宏市長は「来年、林芙美子生誕110周 年に向け、顕彰していくうえで大きなきっかけと なった」と喜んでいた。 久保名誉教授は「一つの手紙が別れ別れになっ ているのは不自然で、半世紀ぶりに再会したのだ から、是非とも一緒にし、出来れば尾道で保管し て欲しい」と投げかけていた。 |