山陽日日新聞社ロゴ 2012年7月14日(土)
レジェンド・オブ・ヒーロー..(3)最終回
 2000GT開発に従事
  世界記録、国際記録を打ち立てる  
2000GTとヨタハチの走り 超高速耐久トライアル賞状
 トヨタでは、開発を担うトヨタ自工の製品企画
室へ配属され、契約内容は常勤嘱託で課長待遇で
あった。
 与えられた仕事は開発テストで、タイヤメーカ
ーとの共同開発にもあたった。
 入社して間なしに開催された第2回日本グラン
プリ(昭和39年5月)では、トヨタはパプリカ、
クラウン、コロナで出場することになり、細谷さ
んはワークスドライバーとして、TIIクラス
(401〜700cc)において、第1回GPに同
じくパプリカで出走。決勝20台で競われ、見事に
2位入賞と、前回よりも一歩抜きに出た走りを見
せつけ、トヨタの名を背負ったプロの貫禄を見せ
つけた。
 第2回日本GPは、国内の自動車メーカーがレ
ースに一層の力を注ぐようになった大会で、その
背景には当時の外国車の輸入自由化と自動車業界
再編への動きがあった。競争が激しくなる中で、
メーカーの技術力を顧客にアピールする場として、
日本GPは絶好の舞台であったのだ。
 このGPで期待に応える好成績を上げた細谷さ
んに、次に待っていたのがトヨタが生んだ(実際
はヤマハ発動機との共同開発)伝説的名車(スポ
ーツカー「2000GT」開発プロジェクトへの参画だ
った。
 昭和39年の夏から正式に始動した同プロジェク
トは、細谷さんを抜擢した河野二郎氏をリーダー
に、エンジン、ボディ・デザイン、テスト、シャ
シー・サスペンションデザインと、各セクション
別に人材が集められ、細谷さんはデザインアシス
タントとテストを受け持った。
 テストでは、開発の参考にする為、ヤマハによ
って買い集められたヨーロッパのスポーツカーを
テスト・ドライブし、そこから得られるデータを
フィードバックすることも任せられた。
 2000GTの試作品(プロトタイプ)が出来上がる
とテスト走行の日々が続き、朝から晩まで運転し
続けであった。
 こうして細谷さんによる念の龍もった走り込み
は、開発・改良の大きな柱となり、昭和42年(19
67)に満を持して発表された。
 国際的に活躍する自動車ジャーナリストの吉川
信氏は、2000GTの歴史をまとめた著書の中で、
「2000GTの卓越した走行性能は、彼の努力なくし
ては得られなかったと断言できる」と延べている。
 因みに当時の販売価格は238万円で、トヨタ
の高級車クラウン2台分、カローラ6台分とかな
り高価(今日で言えば1500万〜2千万円程度で、
フェラーリやマセラティ並みである)。現在では
当然プレミアモノで3千万円以上という。生産台
数は337台で、細谷さんによると現役で今も走
っているのは世界で約130台との事。
 細谷さんは2000GTの他に、後続のトヨタ7、タ
ーボ7、トレノ・レビン(TE27)の開発にも携わ
っている。
 細谷さんはチームトヨタの主力として、2000GT、
次いでトヨタの本格的なレーシングカー「トヨタ
7」を駆けって国内外の数々のレースに出場、何
れにおいても優れた走りを見せ、世界記録も保持
している。主なレースと成績は次の通り。カッコ
内は出場車両。
▼昭和41年・・鈴鹿500kmレース総合優勝(ト
ヨタS800)▼同年・・富士スピードウェイの
オープニングレースとなった第4回クラブマン富
士大会優勝(コロナRTX)▼同年・・第3回日
本GP3位(2000GT)▼同年・・鈴鹿1000kmレー
ス2位(2000GT、ペア出場)▼昭和42年・・富±
24時間耐久及び富±1000km耐久優勝(2000GT、ペ
ア出場)▼昭和43年・・鈴鹿自動車レース及び鈴
鹿12時間耐久優勝(トヨタ7、ベア出場)▼昭和
46年・・日本オールスターレース優勝(セリカ
1600GT、TMSC−Rチーム)。
 なかでも昭和41年10月1日〜4日にかけて、茨
城県の谷田部自動車試験場で行われた「超高速耐
久トライアル」(平均速度206・18kmで
1万6000km走り続ける)では、細谷さんを含むチ
ームトヨタ5人のローテーションで2000GTをもっ
て挑み、3つの世界記録と13の国際記録を樹立し
ている(写真下がその証書、中がチーム・メンバ
ー右から4人目が細谷さん)。
 昭和48年に現役を引退して以後は、トヨタにお
いてテストドライバーの育成や新車開発のアドバ
イスなど、後進の育成に努め、また、愛知県警の
警察学校講師として安全運転教育などにも従事さ
れている。
 インタビューの最後で、今日の自動車について、
細谷さんの眼にはどう映るかをお聞きしたところ、
最近の車には「車としての魅力が乏しい」と指摘
され、自身にとってはやはり2000GTに勝るものは
ないといったところ。
 「アナログ時代の2000GTが今も走り続けている
のは凄い事で、開発に携わった一人として誇りに
思う。これは造った当時は予想もつかなかった事。
手入れをすればまだ50年先も生き続ける車であり、
反対に現代のデジタル仕様の車が同じように存続
するかとなると、これは非常に厳しいように思う…」
とまとめられた。
 尾道出身のプロレーサー、2000GT開発の立て役
者の一人、細谷四方洋(しほみ)さんの存在を、
本紙を通じて地元において掘り起こせたことを嬉
しく思うと同時に、今後のご健勝を心よりお祈り
したい。
 細谷さんをお招きして、尾道で何かしらの車関
連イベントを是非とも企画して欲しいところ・・
(2000GTでしまなみ海道をツーリングしたい)。
                [林 良司]



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