山陽日日新聞社ロゴ 2012年7月12日(木)
細谷四方洋(しほみ)
レジェンド・オブ・ヒーロー..(1)
 尾道出身のプロレーサー
  最初の運転は進駐軍のジープから  
細谷さん
レース仕様のトヨタ2000GTと天満町付近
 尾道出身のプロレーサーの存在が掘り起こされ
た話題を、先月本紙上でご紹介したが、そのご当
人である細谷四方洋(しほみ)さん(75)と尾道で
お会いし、2日間に亘ってインタビュー取材をさ
せて頂いた。ピンチヒッターで急速出場した第1
回日本グランプリでの3位入賞、チームトヨタの
ドライバーとして、また、トヨタが生んだ伝説的
スポーツカー2000GTの開発にも携わった細谷さん
との対談は、F1やスーパーカーに憧れる筆者に
とっては夢のようなひとときとなった。先ずは序
幕となる尾道時代の思い出から語り起こして頂い
た。               [林 良司]

 細谷さんは昭和13年3月8日、日比崎町、今の
尾道迎賓館の近くに生まれ、その後、天満町のガ
スエ場近くに住まいし、栗原小学校(当時は戦時
下で国民学校)へ通った。
 すぐ前の家に住んでいたのが広島大学英文科教
授の木村明先生だった。
 この木村先生のもとへ、進駐軍の将校が日本語
の習得の為に通っていた。終戦後、尾道へ乗り込
んで来た進駐軍は、新浜にキャンプを構えた。カ
マボコ型の特徴的なキャンプであった事を今もよ
く覚えているという。
 将校の送迎でやって来るジープの運転手と仲良
くなった細谷さんは、チューイングガムやチョコ
レート、ビスケットなどをよく貰って食べたそう
だ。
 後にプロレーサー、プロドライバーとなる細谷
さんが、最初に自動車の運転を体験したのが、こ
のGIの乗るジープであった。その時、何と小学
校3年生。
 レッスンを受ける将校を待つ間、運転手のGI
は細谷さんをジープに乗せ市内をドライブ。その
折りに横浜帆布工場(後に東洋繊維・トスコ、現
在はイオン尾道店南のマンション街)のグランド
にて、ジープの運転を習ったのだそうだ。
 グランドで数回習い、小学4年になった頃には
グランドから出て、街中を運転するまで上達した
というから、既にその片鱗を見せている。
 子どもが運転するとは今となっては有り得ない
話であるが、GIが助手席に乗っている故に警察
も何も口出ししなかったといい、まさに堂々たる
無免許運転である。
 高校進学後、隣の家にモータース(バイク屋)
が開業。エンジンの修理に自信のあった細谷さん
はそこでバイトをするようになり、オートバイの
修理に従事する。未だ無免許である為、修理後の
テスト走行は無論ヤミで行う事になる。
 高校2年の春、細谷さんは晴れて運転免許を取
得する。広島で免許試験を受け、16歳で取得出来
る全ての免許(小型四輪、自動三輪、自動二輪、
側車付自動二輪の4種類)をここで取った。免許
証発行年月日は昭和29年3月24日。昭和29年発行
の運転免許証を所持している人は非常に少なく、
これは細谷さんの自慢の一つとなっている。
                 つづく・・
【写真】=(上)..レース仕様のトヨタ2000GTと
現役時代の細谷さん。(下)..住んでいた天満町
路地裏の一角。



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