山陽日日新聞社ロゴ 2012年5月3日(木)
尾道学研究会・天野安治会長からのレポート
 甦る古の尾道郵便局舎
  亀山家所蔵古写真から見つかる
1965年尾道郵便局舎落成記念パンフレット
大正12年落成記念絵はがきの写真
大正12年に出来た局舎
局舎前で大勢並んだ記念写真
 本局の通称で親しまれ、旧市街のランドマーク
の内の一つになっている、本通りの尾道郵便局の
局舎を写した古写真は、『尾道・・・セピア色の
記憶−絵葉書に見るありし日のオノミチー』(第
1集)の内にも収録されている、局舎新築落成記
念の大正12年(1923)のものが最古級として扱わ
れたいたが、それよりも更に古い時期の古写真が、
江戸時代に町年寄を務めた有力商家・亀山家から
見つかった。この分野に詳しい、尾道学研究会会
長・(財)日本郵趣協会相談役の天野安治さんに
よるレポートを以下にご紹介する。 [編集部]

◆大正12年竣工の局舎
 尾道郵便局は、長年、本局と呼ばれて、尾道の
街のランドマークとなってきた。その尾道郵便局
の現在の局舎(図1)は、一九六五年(昭和40)
に建てられたもので、後3年で築50年を迎えるが、
すっかり尾道の街に溶け込んでいる。図1は局舎
落成記念パンフレットに載せられた写真だが、鉄
筋コンクリート四階建ての建物は、この所、尾道
でも高い建物が増えて、やや目立たなくなってき
ている。
 わたくしが物心ついてから、三十代の初め頃ま
で、親しんだ本局の建物が図2。位置は現局舎と
同じで、一九二三年(大正12)四月十一日に完成
した二階建ての丸みを帯びた局舎であった。本通
りが鍵の手に曲がった角の部分が出入口で、扉を
押して入るとロビーがあって、サービス窓口が並
んでいた。向かって左手が貯金・保険、右手が郵
便だったように記憶している。アール・デコ風の
スッキリとした外観で、同時期に建てられた尾道
銀行本店(現・おのみち歴史博物館)と、雰囲気
がよく似ている。
 図2の写真は、一九二三年(大正12)、新築落
成記念に尾道郵便局が発行した三種セットの絵葉
書(島居勝氏蔵)の中の一枚である(『尾道…セ
ピア色の記憶』第1集に掲載)。

◆明治期の局舎
 それでは、一九二三年(大正12)以前の局舎は、
というと、図3の写真がそれ。尾道で電話事業が
開始されたのを記念して、尾道郵便局が発行した
絵葉書二種(島居勝氏蔵、『尾道..セピア色の記
憶』第1集に掲載)の中の一種である。
 当時、電信・電話は逓信省所管の国営事業で、
各郵便局で末端業務を行っていた。この絵葉書は
写真が小さく、全体像がよくわからない。位置は、
やはり、現局舎と同じ場所で、東南の方角から写
した写真であろう。木造二階建てのようで、外観
は米場町の旧住友銀行尾道支店(現・尾道市役所
所有の建物)と似ている。住友銀行が久保の米場
町に支店を移したのが一九〇一年(明治3 4)で
あるが、図3の尾道郵便局の建物もこの時期のも
のでは、と推測される。

◆新しい写真から判明するもの
 ところが、この建物の別の写真が新しく確認さ
れた。市内在の宮地映子さん(旧姓・亀山)所有
の図4がそれである。郵便局の前で、局長以下の
職員が記念撮影した集合写真で、鍵の手に曲がっ
た局舎を背景に、本通りの長江口方向から写して
いる。人物のことは後回しにして、まず、建物に
ついて、この写真から読み取れるものを探してみ
よう。
 尾道の本通りは、江戸時代から、現在の尾道郵
便局の所で、鍵の手に曲がっていた。現在では、
角の部分がゆるやかにカーブしているが、江戸時
代の文政四年(一八二一)の町絵図をみると、狭
い道が直角に二度曲がっている。この写真の建物
の頃は、まだ道が狭かったようで、狭い通りに面
して、反対側の家の庇(ひさし)が左端上方にみ
える。郵便局は山側の角の部分を占めていたが、
東南の角の所に高いアーチの玄関があって、その
奥が入口になっていたようである。そして、アー
チの上には「尾道郵便局」(右書き)、その下に
小さく「POST OFFICE」と表示された
木製看板が掲げられている。また、写真の右側に
は窓がみられるが、上下に開閉する形で、旧住友
銀行尾道支店も同様である。
 玄関の奥にも掲示があるようだが、玄関を出た
ところに大きな掲示板がある。何が書かれていた
か、ルーペでみてみると、人物が邪魔で部分的に
しかみえないが、頭の部分は
 「左ノ電報ハ受取人所在不明/二付配達シ能ハ
ズ 仍(よっ)テ・・・」と読める。電話が普及
していない明治末から大正期にあっては、電報と
いうのは最速の情報伝達手段であったが、そのせ
っかくの電報が届けられないのでは困る。そこで、
配達不能電報の宛先の住所氏名(片仮名書き)を
書き出し掲示、心当たりのある人に申し出てもら
おうという趣旨であろう。断片的にしか読めない
が、住所・氏名・日付が記載してあるのだろうか。

◆写真が撮影された時期
 ところで、この写真はいつ頃撮られたものであ
ろうか。大正11年(一九二二)以前のものである
ことは、図2の建物との関連で明らかだが、集合
写真の面々の服装からもある程度時代を読み取る
ことができる。洋服と和服が混在していること、
洋服の方はワイシャツがすべて立ちカラーである
こと、などから、明治末期から大正初期の写真で
はないかと推察される。
 なお、この集合写真には、所有者・宮地さんの
御祖父さん、亀山慶太郎氏の姿も撮されている。
同氏は江戸時代に町年寄を務めた油屋亀山家の当
主で、尾道郵便局に勤めていたが、36歳の若さで
病没された。その勤務時期は、明治末期から大正
初期だったようで、この点からも、写真の撮影時
期がほぼ確定できる。
 亀山慶太郎氏は、一九〇五・〇六年(明治38・
39)頃、当時、世界的に大流行していた、外国と
の絵葉書の交換を盛んにやっていた。お互いに自
国の絵葉書を郵便で送り合うのだが、彼が外国へ
送った絵葉書が、後年、日本へ里帰りして、わた
くしの手もとに残されている。その中の一枚が
『尾道…セピア色の記憶−第二章』の巻末に採録
されている。
 以上、尾道のランドマークのひとつ、尾道郵便
局の姿を時代を遡って追求してみた。明治中期頃
建てられたとみられる局舎以前のことはわかって
いない。明治四年十二月五日(一八七一年一月十
四日)、尾道郵便取扱所が開設されてから30年間
くらいの間、尾道郵便局がどこにあったのか、ど
のような建物であったのか、まったくわかってい
ない。今後の研究課題である。
※今回のレポートは、目下準備が進められている
尾道学研究会発の機関誌(雑誌)の内にて、より
詳細に掲載発表される予定です。



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