山陽日日新聞社ロゴ 2012年2月25日(土)
元・ナカタツ商店の松本達良さんから
 セピア色の尾道ここにも
  港尾道の活気を伝える古写真など
尾道水道 進水した船
尾道水道に進水する船
兼吉の渡船乗り場付近
店が並ぶ様子
 ありし日の尾道を偲び見る、古い絵葉書による
写真集『尾道...セピア色の記憶−第二章−』の話
題ともリンクする形で、往時の尾道を写した古写
真が持ち寄られた。写真は、明治製菓・渡辺製菓・
江崎グリコ等の名だたる菓子メーカーの代理店を
担った菓子卸問屋、牛乳販売業の株式会社ナカタ
ツ商店(土堂二丁目)を長年営んで来られ、現在
は尾道の語り部筆頭格として、尾道学研究会の副
会長を務める松本達良さん方に眠っていたもので、
千光寺山からの眺望、向島の造船所から港界隈の
賑わい、町並み、新地新開の綺麗所が華を添えた
みなと祭りと、昭和20〜30年代の、古き良き尾道
の情景が活写されている。複数ある写真の内から
港界隈の情景に絞って、目に留まる数枚をピック
アップしてみる。
                [林 良司]
【1.2.・・日立造船向島西工場での進水式】(昭
和27年12月20日撮影)=造船所のクレーン上から
撮ったものと思われる。
 同工場の記録カメラマンだった土本寿美さん
(尾道学研究会会員)の証言によれば、進水した
船は、甲南汽船の貨物船「雄光丸」(7657重量ト
ン)との事。
 尾道側の町並みの内には、商議所の建物も見え
る(左端の白い建物)。
 1の写真、雄光丸の上部に突き出た棒?或いは
ロープ?のようなものは一体何であろうか??。
【3・・渡し場から望む中央桟橋】(撮影時期不
明)=土堂渡し場の桟橋(兼吉渡し)から、中央
桟橋を写した一枚。手前の船は兼吉渡し(公営渡
船、現・尾道渡船)の渡船で、初期型のスタイル。
オート三輪とおぼしきトラックが乗っている。
 中央桟橋の浮き桟橋に停泊している船、また、
その向こうで出航する船らは、島周りの巡航船で
あろう。
 ちょうど停泊している位置の浮き桟橋にはまだ
屋根が掛かっていないのも目に留まる。
 築出(つきだし)浜の磯辺で、磯遊びをしてい
るお父さん?と子ども達の姿が微笑ましい。こう
いう情景も失われつつあるところか・・・。
【4・・ナカタツ商店の景】(撮影時期不明なが
ら、写真の裏面に56の数字が記入され、これが年
代であれば1956年=昭和31年のものか)=松本さ
んのお店・ナカタツ商店の店構えを写したもので、
こちらは国道側。
 「渡辺の菓子」、「明治の菓子」と、取扱メー
カーの重厚な看板が一際目寸つ。左端部分には
「グリコ・ビスコ尾道販売所」の看板も。
 渡辺製菓は筆者にとって馴染み薄いが、松本さ
んによれば、粉末ジュースなどで当てたメーカー
で、明治製菓に同じく戦前からの古い取引先であ
ったという。
 西隣には「尾道専門店会」の看板を掛けた建物
が見え、松本さんによると、専門店会の事務所で
あったとの事。専門店会、優良店会など、当時は
こうしたグループが複数見られた。
 専門店会の宣伝カーが停まっているが、そのス
タイルが何やら特異であるところに目がゆくのは
私だけであろうか(ウルトラ警備隊の特殊車両風?)。
 一枚の写真から色々な情報・エピソードが拾い
出されて実に面白い。
 古写真から往時の尾道へ向ける眼差しは、単に
懐古趣味や歴史資料上の観点だけに留まるもので
はなく、真の尾道らしさ、尾道の本来の姿(余計
な厚化粧をべったり施した尾道ではなく、素のま
まの尾道。それこそが尾道本来の魅力であり売り
ではないか..)を今一度思い出す、取り戻す、言
い換えれば原点へ帰る志向(ここ最近の祇園祭・
三体神輿の流れも然り)。
 とはいえ、保守的な思考で新たに創り上げられ
るものにケチをつけているつもりは毛頭ないので、
誤解の無きように・・。



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