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2011年11月13日(日) 小津監督が惜しんだ煙突のある風景に寄せて 尾崎にそびえる巨大煙突 絵葉書の内でも主役の存在 |
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先日開かれた【音語り 東京物語】での鼎談の 中で、高橋玄洋先生が父・武氏から伝え聞いた 「東京物語」ロケの逸話として語られた、小津監 督を落胆させたという「消えたレンガ造の煙突」 の話に、尾道学のセンサーが敏感に反応した。 尾道学研究会が集積している尾道絵葉書(明治 〜昭和にかけての古い尾道の写真絵葉書)の内に、 浄土寺辺りから市街を眺望するものが多々あるが、 そこには大小の煙突が点々と見られる。 「東端より見たる尾道市」とタイトルを付す一 枚は、浄土寺多宝塔を傍らに配して市街を望むも ので、その構図はどことなく「東京物語」の雰囲 気。線路がまだ単線である事から、複線化される 大正14年(1925)以前の風景と分かる。 「瀬戸内海遊覧記念」のスタンプが押されてい る下に、大きな煙突が伸びており、その南側にも 小さい煙突が見える。 「尾道市街(及千光寺山公園遠望)」は、更に 接近したもので、線路脇から煙突を入れて町並み と千光寺山を収める。タイトルは市街と千光寺山 遠望としながらも、画面のちょうど中央部分に煙 突を配しているところから見て、撮影者が煙突の 存在を意識して撮っている事は容易に想像される。 煙突が建つ位置関係であるが、線路からの位置、 後背に見える緑地が橋本邸(爽籟軒)、南に見え るこんもりとした緑地が海徳寺と見られるから、 尾崎本通りの西側付近と見られ、同位置でこれだ けの大きな煙突を構える工場となると、明治30年 (1897)12月の操業になる「尾道電燈(電気)株 式会社」の火力発電所が該当する。 デジタル・データを拡大して見るとレンガ造で、 形状もほぼ四角形の様である。但し同発電所は、 広島電燈(電気)株式会社と合併する大正6年 (1917)2月で尾崎町での操業を終えており、 「東京物語」尾道ロケの当時(昭和28年の夏)は、 煙突はおろか発電所自体が既に跡形も無い(よっ て小津監督の惜しんだという煙突には該当しない 様に思われる)。因みに発電所はその後、沼隈郡 山波村(会社合併当時)へ移り、尾道造船の一角 に見るレンガ造の建物がその遺構である。 煙突を中心に撮ったと言ってもいい「尾道市街 (及千光寺山公園遠望)」、同じく焦点を当てた 感のある雪景色の「備後尾道雪中ノ景」(時期不 明ながら恐らくは同年代と推定される)などから、 絵葉書の被写体としても意識的に画面の中に配さ れ易い、撮影にあたってのポイントになる存在で あったように思われる。 この煙突がロケ当時まで現存し、浄土寺界隈の シーンの内に登場していたとすれば、なかなかイ ンパクトのあるものになっていたはずで、ロケ・ スポットにおける語り草の一つになっていた様に 思う。 こうした消えた尾道風景への眼差しも、尾道学 で採り上げるべき課題になるはずで、小津監督と 玄洋先生から有難い宿題を得たような、「音語り 東京物語」であった。 [林 良司] 「参考資料」・・尾道市史・中巻(旧市史)青木 茂編著▽広島県史・近代編I▽商工名録(尾道商 工会議所)▽尾道乃記録(平櫛資正編)。 |