山陽日日新聞社ロゴ 2011年7月24日(日)
30年ぶりに小歌島サポーター有志の手で
 小歌島厳島神社管弦祭
  水軍時代の創祀を伝える古社
神事の様子
 駅前対岸にこんもりとした緑の景観を成す小歌
島(おかじま)−その名の通り、かつては独立し
た島だったこの丘陵上に祀られる小歌島厳島神社
で17日、実に30数年ぶり(正確な年数は定かでは
ない)となる管弦祭の祭礼が、田逡英明さんを筆
頭とする小歌島サポーター有志の手で厳かに執り
行われた。
 小歌島厳島神社は、地元の学校長を務めた菅原
守氏が昭和13年に編纂した『備後向嶋岩子島史』
に記すところによれば、【小歌島神社(宇賀神社)
祭神..弁財天・宇賀大神、由緒..天文22年(1553)、
村上新蔵人吉満が岡島城築城の折、地主神として
宇賀魂神(うがのみたまのかみ)を祀り、海上守
護として女神弁財天を奉祀すると云ふ。祭事は入
城の日を以て開けり」とあり、因島村上氏の吉満
が岡島に出城(尾道水道を往来する船舶から警固
〈けご〉料=通行税を徴収する関所)を築いた折
に創祀したものとある。
 祭神の宇賀神は稲荷神で、弁財天は神仏習合に
よって宮島の厳島姫神となる。現在では厳島神社
が主体を成しているようだが、「おかじま」の語
源に宇賀神を祀る「宇賀島」が転誂したものとす
る説も聞かれるなど、地主神との位置づけで祀ら
れた宇賀神(稲荷神)の存在が大きかったように
も想像される。
 祭典は、塩田の守護神として浜旦那衆からの崇
敬を集めた富浜の厳島神社・児玉道隆宮司によっ
て斎行され、これに今回の祭礼を担った小歌島サ
ポーターの田逡英明さん、半田輝美さん、出目強
志さん、平川龍彦さん、倉永光義さん、太田垣賀
久さん、小歌島地区町内から大上邦彦さん、対岸
東御所町(旧・東予町)の岡本タバコ店(ジョン)
店主・岡本晴見さん、尾道学研究会企画事務局の
林良司さん、そして小歌島の地権者である豊田純
爾さんが参列した。
 祭典終了後、境内にて直会(なおらい)の一席
が設けられ、児玉宮司が往時の祭りの様子から神
社信仰の分布状況についてなどを分かり易く解説
され、とりわけ神社にとって一番大切なのは、文
化財云々ではなく「景観」であるとの指摘にで一
同深く頷かされ、また、考えさせられるものがあ
った。懇親や情報交換の場として、参列者は有意
義なひと時を過ごしていた。
 高祖父の豊田菊吉氏以来、小歌島に居を構えて
4代目となる豊田さんは、「田遵さんを中心とす
るサポーター有志の頼もしい協力を得て、実に30
数年ぶりとなる小歌島厳島神社の祭典を執り行う
ことが出来ました。祭りに限らず、小歌島を守っ
てゆく為に日々支えて頂いている事に感謝するば
かりです・・」と支援者に敬意を表していた。
 往時の小歌島厳島神社管弦祭(宮島祭という呼
称であったともいう)では、対岸の東予町から使
者が参向し、小さい神輿に御神体を乗せ、海を渡
って対岸へお渡りになっていたという。東予桟橋
の東側(現在の駅前緑地帯東)辺りに設けられた
御旅所を中心に夜店が立ち並び、野外にスクリー
ンを張って映画の上映会(野外シアター)も行わ
れるなど、それはそれは盛況な祭りの風景が見ら
れたと、岡本さんのご両親や、語り部筆頭の尾道
学研究会・松本達良副会長らが証言している。



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