2011年5月10日(火) 本因坊秀策 遺品15点母子愛用の碁盤など 後世伝える市有形民族文化財に |
||
江戸後期、囲碁の布石の基礎を築き、碁聖とも 称された本因坊秀策(1829〜62年)ゆかりの品15 点が、尾道市有形民俗文化財に指定された。 3月22日開かれた尾道市文化財保護委員会(寺 岡昭治委員長、20人)からの答申を受け、市教委 が先月28日付けで承認、告示したもの。 因島外浦町に生まれた本因坊秀策は、幼名を桑 原虎次郎と言い、早くから囲碁の才能を見出され、 6歳の頃には近くに敵がおらず、神童と称された。 9歳で本因坊家に弟子入りし20歳で第14世本因坊 の跡目となり、12年間で19連勝した。 指定されたゆかりの品は次の通り。 ◆「秀策母子愛用の碁盤と碁石」(=写真)秀策 の生母カメが婿を迎え、分家した時に持参。秀策 は幼時この碁盤で母から手ほどきを受けた。母子 は一生この碁盤を愛用し、秀策が最後に帰郷した 時に碁盤の裏に「慎始 克終 視明 無感」の4 句を署名している。 ◆「秀策十六歳の筆跡書幅」弘化元年、江戸から 故郷を思って書いた。 ◆頼聿庵『詠 虎次郎』の書幅」17歳、2度目の 帰郷の時、頼家を訪ね、頼山陽の長男頼聿庵(ら いいつあん)から贈られた。 ◆「本因坊より囲碁免状」本因坊からの免状で、 初段と二段、三段、四段までを生家に送ったもの =(写真下) 他に画幅「頓岩雲馨画老梅瑞鳥」(遺愛の書幅 画の中で最古)▼秀策の食膳(本因坊の跡目相続 を祝し父輪三が買い与えた)▼父輪三の書状▼父 母宛の書状▼本因坊秀和から秀策死亡の通知状▼ 妻花から秀策の死亡通知状▼旧生家家系図(万延 元年に建てられた藁葺き屋根の生家は、腐朽ため に1972年に取り壊された)▼天保十四年版「日本 国中囲碁名鑑」(298人が登録、秀策は四段欄 に見える)▼華頂宮殿下より拝領の木刀▼画幅 「高久古画人物」(秀策遺愛、本因坊の跡目相続 を祝して贈られた)▼河北房種その他名家の真蹟 (多くの名士が贈った詩文の一巻) いずれも、因島外浦町にある因島石切神社(桑 原利恵さん)の所有で尾道市に寄託、本因坊秀策 囲碁記念館で常設展示されている。「秀策の人柄 と品格を偲ばせる貴重な遺産であり、囲碁文化の 継承と秀策を永く後世に伝え、顕彰するのに欠か せない資料」と評価された。 今回の指定で、尾道市民俗文化財は18件、市指 定文化財は全体で212件、国と県指定を入れて 合わせて346件となった。 [幾野伝] |