山陽日日新聞社ロゴ 2011年3月24日(木)
 尾道鉄道の思い出
  遊び場だった三成車庫
 今回のエピソード採集・取材において、三成地
区は御調地区と並んで大きなポイントとなった。
ここにはメンテナンスの工場を含む車庫に、電力
を供給する火力発電所があった。停車駅としては
尾道駅・西尾道駅、栗原駅、市駅と並び(以外は
停留所レベル)、中でも三成駅は中核駅であった。
 車庫周辺が格好の遊び場でしたと振り返るのは、
三成駅跡の近くに住む八幡さん(63)。
 小学校の時分、友達同士連れだって車庫や発電
所周りでよく遊びました。そこへ行けば遊び仲間
の誰かが居り、下校途中にちょいと立ち寄るお決
まりの道草スポットで、当然親にはよく叱られた
ものです。
 本来からすれば遊び場どころか立入禁止の空間
なわけで、最初の内は注意もされましたが、回を
重ねれば次第に従業員さんとも馴れ合いになり、
子供達の方も子供ながら弁えるところは弁えまし
たから、危険の及ばない範囲での遊びは黙認され
ました。時には従業員さんがキャッチボールの相
手になってくれた事もありましたが、本社からお
偉いさんが来るぞとなると、子供達もおとなしく
遠慮したものです。
 電車の修理作業を傍らで見ているだけで、子供
達の心を多分に満足させるものがありました。車
輪の溶接で飛び散る火花一つとっても興味津々の
対象で、子供にとってはまさに夢のような空間で
す。定期的に実施されていたモーターのコイルを
巻き替える大掛かりな作業なども、印象深く思い
出されます。
 三成工場では、電車の台車部分はそのままで、
上モノ(本体部分)を製造していたこともあった
ようで、車内の座席などは大工さんらの手によっ
て設えられていました。
 発電所には高い煙突がシンボルのように見られ
ましたが、自分が遊んでいた時代には煙突から煙
が上がっているのを見た事はありません。既にそ
の役割を終えていたのかもしれません。
 当時の子どもらの遊びに「釘立ち」というのが
ありましたが、釘を電車に轢かせて平らにすると
綺麗で、釘立ちにそれを用いると友達からよく欲
しがられたものです。
 電車に乗った時の思い出で記憶に残っているの
は、勾配のある仙入峠。上りはゆっくりながら、
下りとなると速度がつき、ジェットコースターの
ようでちょっと怖かったものです。滑り止めとし
て、藤井川の砂をレールに撒く光景も見られまし
た。
 少年時代の思い出が詰まったオノテツの風景は、
もはや跡形も無くなった今でも、決して忘れるこ
とのない風景です

注・個人名はネット転載時に苗字だけとしました



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