2011年2月19日(土) 尾道鉄道各駅停車回想記・・・2 本日も延着 『御調文学』より 虹野 かな太(堀川弘) |
||
畑駅からは一気に下る線路が小さなトンネルを 次々に抜けていく。峠の途中の西校上駅到着。乗 客はほとんどいない。駅から細い道を下ると木ノ 庄村西小学校がある。 西校上を発車した電車は、まだまだ坂道を下る。 運転手は尾道鉄道最大の難所を熟練の腕で、急坂 とカーブと見通しの悪いトンネルの続く鉄路を見 事に下っていく。電車の運転などハンドルがある わけでもなく、線路の上を走るだけなので楽なも のだろうと思っていたら大間違いだった。やがて 電車は何事もなく石畦(いしぐろ)駅に到着。 石畦駅は現在の国道一八四号線木門田トンネル を下って平坦地になった交差点信号の理容所辺に あった。昭和三十二年二月には市駅−石畦駅間の 線路が撤去されて、御調町からバスで石畦駅まで 行くことになった残念な知らせを遠く関西で聞い たが、この区間の乗客は私の世代が最後になった ようだ。 石畦駅を発車した電車は、国道一八四号線三原 別れ三叉路信号の手前辺りにあった木頃本郷駅に 着く。この駅からの通勤者や通学生は多く、乗客 はほぼ満員に近い。私は三年生になってから、こ の駅で途中下車をして深町経由三原行きのバスに 乗り換えて通学した。乗車料金はほとんど変わら なかったと思ったが、通学時間が約三十分ほど短 縮できることに気付いたのと、もう一つの理由が あった。その理由は後から出てくる話と関連する ことだった。木頃本郷から自転車で通学していた 同級生に九十九君という長距離走が得意で校内マ ラソン大会では一番になる生徒がいた。彼は相当 なやんちゃ坊主だったが、私は不思議に彼とウマ があっていた。下校時間になると自分が乗ってき た自転車を私に渡してから走って帰ることが多か った。私は渡された自転車に乗って、走る九十九 君の伴走をする。彼は走りながらも話しかけてき て、将来は競輪選手を目指すと夢を語っていたが、 三十年後のクラス会で聞いたところでは夢は叶わ なかったそうだ。 木頃本郷駅を出るとまもなく遊亀橋駅に着く。 この駅は当初無くて、新たに設置された駅と記憶 している。特別な思い出はないが駅名がユニーク なので印象に残る駅である。遊亀橋を出ると木梨 口駅に到着。木ノ庄村字木梨の入り口になり、原 田村を経由して菅野村に通じる。この駅から乗車 する同級生の三次君は、私か在学中にもっとも行 動を共にした友人の一人だった。入学後一ヶ月余 りの放課後に教室の掃除の事で、口論の末に殴り 合いの大げんかをしたが、それがきっかけに親友 になった。卒業してから数年後の消息を近くに住 む友人からの便りで、彼は北海道での登山中に事 故死したことを知らされた。彼とは忘れられない エピソードが幾つかあるが、高校一年の時に大失 敗をしたことが一番思い出深い。 (つづく) |