山陽日日新聞社ロゴ 2011年2月11日(金)
故・前田六二さんの仲介で鉄道史研究の大物登場
 オノテツ本に長船友則さん 
  鉄道写真家が記録した古写真も 
細川延夫氏撮影、尾道駅北側ホームの尾道鉄道車輌昭和38年6月4日(長船友則氏所蔵)
 本紙上で連日のように尾道鉄道資料集出版の″
前触れ″を報じ続けているが、失われた記憶を呼
び覚ますオノテツ・エピソードとは別に、資料集
の制作で強力な助つ人が登場しましたとの報せが、
尾道学研究会(天野安治会長)同編集チームから
寄せられた。

 私の資料がお役に立つのなら..と、沿線案内パ
ンフから運行図表(ダイヤグラム)、切符・定期
券、古新聞からピックアップされたオノテツ記事
などなど、種々のオノテツ資料(コピー)が送ら
れて来たのは、前田六二さんの急逝と時同じくし
て。
 送り主は長船友則さん。そういえば、「広島の
方へ資料を沢山お持ちの方がおられるそうなので、
ひとつ協力を仰いでみます..」と、前田さんから
チラリと耳にしていたその方であろうと、早速に
お礼と前田さん急逝の報を打ち、後日、電話でや
りとりをさせて頂いた。
 お話を重ねてゆく内、これはただの鉄道ファン、
コレクターではないなと気づき、電話を置いた後
に調べてみてアッと驚いた。
 長船友則・・鉄道史学会会員、鉄道友の会会員、
路面電車を考える会世話人を務め、著書に『山陽
鉄道物語』(JTBパブリッシング、2008)、
『呉市電の足跡』(ネコ・パブリッシング、2009)、
『広電が走る街 今昔』(JTBパブリッシング、
2005)など、その他鉄道関連本・雑誌にも寄稿多
数という、鉄道研究では知る人ぞ知る人物であっ
た。
 先頃、天野会長と編集メンバーの一人で貨物鉄
道博物館研究員である浦田慎さん(向島の広大臨
海実験所助教)を伴って長船さん宅を訪ね、快い
参加協力に敬意を表すると共に、鉄道談義の時を
過ごした。
 「資料は収集しておりますが、尾道鉄道につい
てはじっくり研究しておりませんので、どこまで
力になれるかは分かりませんが..」と、偉ぶる事
なく物腰低い紳士的な対応は、どこか前田さんを
思い出す。
 資料だけとはいえ、その資料がこれまた凄い。
とりわけ新聞記事からオノテツ関連を拾ったもの
では、大正7年5月18日付「芸備日日新聞」【軽
鉄発起人総会】の記事を最初に、大正から戦前ま
でのオノテツ記事・広告(公告)が揃っている。
これ一つとっても、オノテツ史を辿る上で格好の
資料、データベースとなり得るものがある。
 多岐に亘る資料の中で、目玉となるのが細川延
夫氏(故人)の撮影しかオノテツ古写真群。細川
氏も鉄道愛好家の世界ではその名を知られた人で、
各地の鉄道写真を撮り続けられて来た″鉄道写真
家″とでもいうべき人物。
 遺族からネガ・フィルムを託された長船さんの
もとで大切に保管・活用されており、広島県立歴
史博物館で開催された鉄道の企画展にも、長船さ
んを通じて出展された。
 今回はその中から21点を厳選させて頂き、資
料集の巻頭を飾る「オノテツ写真館」の内へ大き
く盛り込ませて頂く事となり、写真集だけでも十
分行けるような、これまた贅沢な中身となった。
 長船さんには資料提供のみならず、歴史概説を
始め全体のチェックをして頂くなど、監修者・前
田さんが表の顔なら、裏方の監修者的立場で参画
頂く事になり、まさに″鬼に金棒″とはこの事と、
強力な助っ人の登場に対し平身低頭するばかり。
 「これがワシの最後の仕事ですけえ..」と言わ
んばかりに、亡くなる直前に仲立ち下さった前田
さんにも、深々と頭を下げる思い。
 前田さんの功労に報いる為にも、オノテツ本の
制作・編集に、より一層力を注ぎ込みたいと思い
ます。
「写真」=細川延夫氏撮影、尾道駅北側ホームに
停車中のオノテツ電車、昭和38年6月4日(長船
友則氏所蔵)。



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