山陽日日新聞社ロゴ 2011年1月30日(日)
尾道鉄道の思い出
 ホタル電車の記憶
  三成に生まれて88年の平山一夫さん  
平山さん
木頃本郷駅にて尾道鉄道車輌
 三成小の郷土資料館で資料確認を終えた後、オ
ノテツの思い出..三成編のコーディネートをして
下さった三訪会・板原壽雄事務局長の案内で、三
成の語り部・平山一夫さんを訪ねた。
 地区の氏神・三成八幡神社の参道脇にお住まい
の平山さんは、ここで生まれて88年という生粋の
三成っ子で、尾道鉄道が開業する3年前の大正11
年(1922)のお生まれになる。
 平山さんには、三成界隈の風物詩だった「ホタ
ル狩り」と絡めて、オノテツと共にあった少年時
代を回想して頂いた。
 私が小学校3〜6年生頃の話です。三成の線路
沿いには一面田畑が広がり、その内に我が家の田
んぼもありました。家と田んぼを行き来するすぐ
傍らで、オノテツの電車がガタゴトと走っている
という身近な存在・風景でした。ちょうど田んぼ
の横が電車の火力発電所(現在の中国バス三成営
業所)という事もあって、そこで働く従業員や運
転士、電車の整備士の方々と親しく話をするのも
日常風景でした。また、発電所に隣接して5世帯
ほどの社宅も見られました。
 当時は随分とのんびりした時代でしたから、オ
ノテツに乗ろうと家を出たところ既に電車は駅を
出発。「お〜い、ちょっと待ってくれ〜」と手を
振って呼び止めると、すぐに電車は一時停止。駅
でない所から乗るというのもよくある話でした。
 沿線の地域では、尾道特産の畳表の材料となる
″イ草″の栽培が盛んでしたが、イ草を干すのに
線路に敷かれた石の上が最適な場所で、線路上
(脇)でイ草干しというのも沿線ではよく見られ
た光景でした。
 オノテツの、また子ども時分の思い出として、
一番印象深く思い出すのは「ホタル狩り」です。
 ホタルが舞い飛ぶ季節になると、藤井川へ入っ
て川端の草むらをホウキで払い、ホウキの先にま
とわりついたホタルを獲っていました。そしてオ
ノテツに乗ってホタル狩りに訪れる見物客に、獲
ったホタルを袋へ入れてお土産用として売るとい
うのが、当時の子ども達のちょっとした小遣い稼
ぎになっていました。
 ホタル狩りに訪れる町の人を乗せたホタル電車
(通称)は土・日に見られ、主に子どものいる家
族連れでした。三成駅に限らず藤井川沿線の各駅
で下り、それぞれのポイントでホタル鑑賞の夕べ
を楽しんでおりました。川沿いを歩きながら三成
駅まで来て、そこから電車に乗って帰る人の姿も
見られました。
 余談になりますが、木梨ロの駅前には一軒の萬
屋さん(雑貨兼食料品店)があり、そこでは尾道
の郷土玩具の一つである「田面(たのみ)人形」
が店頭に並んでおりました。学校の帰り道、人形
作りを手伝わせてもらったのも少年時代の記憶に
あります。これもオノテツに同じく、思い出の中
の今はもう失われた一風景です・・・。
【写真】(上)お元気にホタル電車を述懐する平
山さん、(下)木頃本郷駅にて・戦後(河本泰行
氏提供、尾道鉄道株式会社旧蔵、尾道学研究会デ
ジタル・アーカイブス蔵)。



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